2014年12月14日日曜日

ヨハネにおける友情 パウロにおける友情




ジョン・フィッツジェラルド
「キリスト教徒の友情
(87号「フィリピの信徒への手紙」より)


イエスの死は友情に関するヨハネとパウロそれぞれの概念に重大な役割を果たしているが、そこには著しい違いも見られる。

パウロにとって神がキリストの信仰者と和解し、自らの友人とするのは、キリストの死において、キリストの死を通してである。

それゆえ、キリスト教徒の友情は神との和解と友情、信徒相互の友情の基盤を形成するキリストの死による神の和解の行為と分かちがたく結びついている。ヨハネの思想においてもイエスの死は重要であるが、イエスとの友情の基盤とはされていない。

弟子たちはイエスが自分たちのために十字架に赴く時点で、すでにイエスの友人なのである(ヨハ一五15)。

要するに、ヨハネによる福音書においては、イエスの磔刑はイエスの言葉によってすでに清められている(ヨハ一五3。一三10も参照)友人たちのための死なのである(ヨハ一五13)。

一方、パウロにとっては、イエスの死は友人たちのためのものではなく、不信心な者たちや罪人たち、敵のためのものであり(ロマ五6、八10)、神的なものとの友情を可能にする出来事なのである。


 

特 集

フィリピの信徒への手紙

第87号 2014年12月
定価2000円+税



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