ジョエル・マーカス
「新約聖書における偶像崇拝」
(81号特集「ほかに神があってはならない」)
偶像崇拝と性的な不品行の結びつきはさらに深いレベルにも及んでいる。
像の礼拝は他のすべての違反の根源という考えもそのひとつである。
この点で、ローマの信徒への手紙一章18−27節に見られる悪の起源についてのパウロの分析は、ヘレニズム時代のユダヤ教文書である知恵の書一四章12−31節に明確に示された道筋を辿っている(偶像崇拝は「姦淫の始まり」であり、「諸悪の始まりであり原因であり結末である」。一四12、27)。
偶像崇拝は根本的な罪であり、とりわけ姦淫を含む他の罪へと必然的に導く。
偶像崇拝と姦淫の結びつきはとりわけ密接なもので、この二つの違反によって、被造物を創造者と取り違え、被造物を拝み、創造者ではなく被造物に仕えることになる(ロマ一25参照)。
つまり、姦淫は偶像崇拝の一形態なのである。
逆に言えば、姦淫と偶像崇拝は、ヤハウェの花嫁たるイスラエル、そしてヤハウェに対する不貞としての偶像崇拝という聖書のメタファーによって密接に結びついており、偶像崇拝は姦淫の一形態ということにもなる(これはホセア書一−四章、エゼキエル書一六章および二三章において最もよく展開されている)。
偶像崇拝は様々な違反のリストによって詳しく語られているが(知一四13−27)、それを姦淫の始まりであるとしている知恵の書一四章12節の言葉はこのメタファーを背景としているのかもしれない。
ここでいう「姦淫」は、あらゆる不信仰を意味する幅広い言葉となっているようで、しばしば「偶像崇拝」をも意味する。
特 集
ほかに神があってはならない
第81号 2013年5月
定価2000円+税
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