2015年7月12日日曜日

聖書学の成立




ユージン・ボーリング
「マタイ福音書の物語キリスト論」
(89号特集「ともにある神 マタイ福音書」)


マタイが自らの福音書を通して自らのキリスト教信仰を発見したように、一八世紀以前のキリスト教神学者の大半は旧約聖書と新約聖書を均質なキリスト教信仰の書として読んでいた。

そこでは教条神学と歴史神学は切り離されておらず、聖書は教会の教えを支えるためのテクストとして探究された。

他の新約聖書の著者、あるいは後のキリスト教の神学者とは区別される「マタイのキリスト論」があるという考えは、それぞれの実存的な現実に聖書が直接語りかけていた各時代の教会の解釈者には思いもよらないものであった。

一八世紀の歴史主義の高まりは一七八七年のヨハン・フィリップ・ガプラーの「教条神学と聖書神学の適切な区別とその境界の正しい決定」という言葉によって始まる。

聖書神学は純粋に歴史的な学問と定義されるものとして始まった。

後代の教条的な制約なしに、古代の聖書の著者が自身の言葉において考えたことを展開していくのがその課題であった。

「今、ここで」という規範的な意味での探究は組織神学者に任せ、「そのとき、そこで」についての純粋に記述的でアカデミックな学問であることが聖書神学には求められた。

神学校では聖書学は組織神学とは別の分野となった。聖書学者は自らを神学者であるとは主張せず、神学者は釈義の問題については聖書学者に従い、〝縄張り〟は尊重された。

このアプローチは古くはクリスター・ステンダールが一九六二年に発表した「聖書神学の歴史」において表現され、主要な教派で一世代ほどの間、広く用いられた注解書シリーズ「インタープリーターズ・バイブル」では「釈義」(それが意味したこと)と「注釈」(それが意味すること)の間に明確な線引きがなされた。





特 集

とともにある神

マタイ福音書

第89号 2015年6月
定価2000円+税







0 件のコメント:

コメントを投稿

IP Store