2014年9月6日土曜日

86号「対話を求めて」 目 次



9月10日発売




特 集

対話を求めて

第86号 2014年9月
定価2000円+税




まえがき


 T・C・マック Terry C. Muck
パラダイムを越えて ──ニッターとヒック以後の諸宗教の神学── 

ポール・ニッターもジョン・ヒックも〈排他主義・包括主義・多元主義〉というパラダイムに強く依拠している。宣教活動がますます不審に思われるようになっ ている世界において、このパラダイムを越えて活動するには、より大きな神学、より広い方法論、そして、「参与による神学形成」に特徴づけられる、より深い 宣教論が必要になる。


M・ファリーナ Marianne Farina
テリー・マックへの応答

エイモス・ヤン Amos Yong
「パラダイム」は越えられるのか ──T・マックの提案に対する応答──




デイヴィッド・バレル David Burrell
一神教の対話 ──ジャン・ダニエルーの宣教論再考── 

ジャン・ダニエルーの宣教の視点からなされた省察はキリスト教の他宗教との関係に関する現状への評価手段を与えてくれる。ここではバーナード・ロナガンの 洞察を中心に、ほぼ六〇年にわたって繰り返されてきた神学上の実践を示していく。タリク・ラマダンによる最近の省察はどのようにすればそれを制度的な中心 とすることができるかを示してくれている。 
      【Keyword】 タリク・ラマダン(Tariq Ramadan)、Jean Daniélou カール・ラーナー(Karl Rahner)、「新神学」、第二バチカン公会議、ルイ・マシニョン(Louis Massignon)
     

 マイケル・バラム Michael Barram
宣教のための聖書解釈に向けて ──聖書と宣教、その社会的位置──

宣教学と聖書学の長期にわたる隔たりにもかかわらず、最近では聖書解釈における社会的位置づ けの重要性が強調されるなど、両分野の収束の傾向が強まっている。それは聖書への批判的で信仰に満ちた取り組みの鍵として、キリスト教共同体の宣教学的 「位置づけ」が優先される「宣教のための聖書解釈」の機が熟していることを示唆する。


テクストと説教の間
出エジプト記20章1―6節(K・L・ロバーツ)
詩編36編5―11節(R・A・ジェイコブソン)
ヨハネによる福音書19章38―42節(P・L・リディット)
フィリピの信徒への手紙2章1―11節(R・J・アレン)


 書評紹介  (榊原芙美子、吉谷かおる、山野貴彦ほか訳)
ローランド・E・ミラー著『イスラムと福音の橋渡し』
ロバート・W・ジェンソン著『雅歌』
J・シェリル・エグザム著『雅歌註解』
ジョン・J・コリンズ著『聖書神学との出会い』
ダグラス・F・オッターティ著『絶滅危惧教派のための神学』


1 件のコメント:

  1. はじめまして、お邪魔します。
    私は韓国在住のクリスチャンです。
    世の中すべての問題と答えは全て聖書の中にあります。その聖書は文字だけ見ても、全て解ることができません。
    聖書の1節を聖書でもって解釈すれば、聖書の文字の中に隠された本当の意味が見えてきます。
     <御国の奥義> <セウォル号の難破原因> <聖書を見る方法>など
    申玉珠牧師による命の御言葉を是非聞いてください。
    すべての問題と解答は聖書の中にあります。
    http://blogs.yahoo.co.jp/mikuninookugi

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