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2014年3月24日月曜日
新約聖書の中の「聖書」
「グラフェー」のこと
新約聖書に「聖書に書かれている」などと書かれるときの「聖書」は、原語のギリシャ語ではだいたい「ホ・グラフェー」という語である。「ホ」は定冠詞男性単数、「グラフェー」は「書いてあるもの」というような意味であろうか。日本語的には「書かれた物」という方がしっくりいくかもしれないが、原語には受け身の意味はないようだ。
新約聖書で「聖書」といえば、当然のこととして、「旧約聖書」のことを指していると考えられるが、「いつでもそうだろうか」ということを論じ、それによって、ヨハネ福音書の性格を明らかにするというのが、次号85号「ヨハネ福音書と教会」の第二論文「聖書の〈終わり〉」である。
85号は取り組むのにはやや尻込みしてしまいがちなヨハネ福音書への格好の入門書になっている。四本の論考、三本の「注解」が相互に作用しながら、ヨハネ福音書の周辺にある話題、「ヨハネ共同体」、グノーシス主義との関係などについて、ひとつひとつ解き明かされることがあまりない話題が扱われている。
論考の中の主張もさることながら、その主張の過程にある基本概念の「復習的な」説明から得るものが多い。
ところで、ヘブライ語聖書、つまり、一般に言うところの旧約聖書のことをヘブライ語では「ミクラー」という。「読む物」「読み物」という意味である。
ギリシャ語では「書かれた物」、ヘブライ語では「読まれる物」ということになる。
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