デイヴィッド・M・カー著
心の石板に刻む ─聖書と文学の起源─
(略)
カーによれば、人間形成がこの書記教育システムの目的であった。
その結果として読み書きができるエリートが生産された。
ここでいう読み書きの能力は単に読んだり書いたりする能力ではなく、文化的な能力だったのである。
この教育システム、文化教化のシステムによって形成された者は自分が習得した教育課程によって伝えられるイメージや思想の蓄積の中から引き出されるものを基にして考え、話すことができた。
そうした長く保持されたテクストは記されたテクストを通してだけでなく、それを修得した者の〝心に記された〟伝承として記憶され、世代から世代へとその文化がもつ価値感を伝えたのである。
古代エジプト、ギリシャに目を向ければ、そこでは書記教育、文化教化についての資料は比較的乏しいが、カーは同じような図式があったことを支持する根拠はあるとしている。
そこでも古めかしい言葉遣いの古いテクストが文化的なエリートによって修得される教育課程となっていた。
指導は小さな家族集団内で行われ、「父」は「息子」に読み書きの基本を教えるだけでなく、文学の総体を習熟させた。
その熟達度はやはり実演によって示される。特にギリシャ文化では饗宴の席がホメロスなど代表的な詩人の古典的な「修得科目」の暗唱の場であった。
最も重要なのは、伝統の熟達によって社会のエリートを分離するためにこの教育方法が用いられたことである。
カーは同じ図式が古代イスラエルにも見られるとし、箴言のような「知恵」のテクストだけでなく、詩編や申命記、レビ記、また、イザヤ書、エレミヤ書などの預言書のテクストも教育目的で用いられていたことを示す証拠があると論じている。
そこにはテクストの再生産だけでなく、暗記や暗唱、指導といった要素が見出されることが注目される(エレミヤ書三六章、申命記六章など)。
そうしたテクストもまた、政治にせよ宗教にせよエリート集団の文化教化に用いられたというのがカーの主張である。
「他者」へのまなざし
第84号 2014年3月
定価2000円+税
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