2014年3月19日水曜日

聖書の中の「黒人」観


 クシュ人の妻についての物語は「人種的に黒い」と見なされることが聖書の著者にどのように受けとめられていたかも教えてくれる。

まず第一に、この物語にクシュ人の妻が登場するということは出エジプト記一二章38節の民族的に「種々雑多な」集団の移動にクシュ人も含まれていたと著者が考えていたということである。

第二に、クシュ人の女性との結婚で後代におけるモーセの地位が貶められることは決してなかったという点である。

後代の解釈者はクシュ人の女性との結婚ゆえに法伝授者モーセを貶めることはなかった。

最後に、ミリアムが不満を述べたモーセの結婚そのものに対してヤハウェから否定的な反応がないということは、そのような結婚を神は禁止していないということである。

モーセは民族的にはクシュ人ではないというのが現代の釈義における前提だが、「異人種間の」結婚は神学的に禁止されているという現代における考えはこの物語によって打ち負かされる。

清浄こそが最重要課題であるレビ人のうちで最も優れた人物であったモーセにもこのような結婚が禁じられていなかったとすれば、現代の解釈者が今日においてそうした結婚を問題視することはできなくなる。
 


まとめれば、現代の読者に「人種的に他者」と見なされるかもしれない女性とモーセが結婚したことをめぐる議論は、誹謗中傷を正当化するために「人種」をもち出すことの妥当性をなくしていく役割をもっているということである。

この物語の著者の傾向はモーセがクシュ人の女性と結婚したことに侮蔑的態度をとるミリアムに明確に反対する。

民数記一二章が方向性として意図的に反人種論的立場をとっており、クシュ人がヘブライ人と存在論的に異なっているという考えを排除しようとしているということ、また、同章がモーセとクシュ人の女性の結婚にヤハウェの承認を与えることによって、感知される他者性を象徴的に乗り越えているとすることは十分に妥当であろう。

この物語はミリアムの不満に対するヤハウェの皮肉な反応を強調することによって、有色人種への偏見に対抗しようとした初期の聖書の著者の戦略を示していると見ることもできるのである。


ロドニー・S・サドラー「クシュ人はその肌の色を変えられるだろうか ―クシュ人・「人種的他者化」・ヘブライ語聖書―」(インタープリテイション84号 「他者」へのまなざし)





特 集

「他者」へのまなざし

第84号 2014年3月
定価2000円+税





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