2014年6月13日金曜日

「ナザレ人」の意味




メアリー・L・コロエ
ヨハネ福音書における神殿のイメージ


イエスがナザレ人と呼ばれるとき、イエスがその小さな村の出身であるということだけでなく、それがイザヤの託宣に由来する「若枝」に基づいたメシアの称号である可能性もある。

その可能性はクムラン文書からの証拠を考慮することによって高くなる。

クムランの巻物はイザヤ書におけるダビデの若枝を同じく枝を意味する「ツェマフ」という語に結びつけている。

この語はゼカリヤ書で用いられており、そこでは「若枝」という名の人物が未来の神殿を建て直すと言われている。

 


銀と金を受け取り、冠をつくり、それをヨツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭に載せて、宣言しなさい。

万軍の主はこう言われる。

見よ、これが『若枝』という名の人である。

その足もとから若枝が萌えいでる。彼は主の神殿を建て直す。

彼こそ主の神殿を建て直し、威光をまとい、王座に座して治める。

(ゼカ六11─13)
 



クムラン共同体は未来のダビデの子に期待をかけ、彼に「若枝」という語を当てたが、イザヤの「ネツェル」ではなく、ゼカリヤの「ツェマフ」を使った。
 



ヤハウェは、あなたがたのために家を建てると宣言される。

わたしはあなたがたの種を育て、永遠なる彼の王国の座を造り上げる。

わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。

これはダビデの若枝のことである (死海文書4Qflor col. 1, 11)。
 



 さらに特筆すべきはイザヤ書11章1─5節についての解釈である。

本文の引用ではヘブライ語聖書の本文に従って、「ネツェル」(若枝)が用いられているが、注解においてはその「ネツェル」にゼカリヤ書六章12節の「ツェマフ」が用いられ、「ダビデの若枝」と解釈されている。

これらのテクストはクムラン文書の時代までに、「ツェマフ」と「ネツェル」が同義語とされ、主の神殿を建てることになるゼカリヤ書六章の「若枝」と呼ばれる人物がダビデに連なるメシアの新芽と認識されていたことを示す。
 



クムランの巻物はヨハネ文書以前の第二神殿時代のユダヤ教に、メシアによる神殿再建の役割という考えが確かにあったことを示している。

それは一世紀までに「ナザレ人」という語が終末において神殿を建て直すダビデに連なるメシアに関連づけられていたとするここでの仮説を裏づけている。

第四福音書における「ナザレ人」という語の使用は、この仮説にさらなる支持を与えている。
 



イエスが「ナザレ人」と呼ばれるのは彼の「時」が来たあとにおいてのみである。

兵士たちはゲツセマネに来て「ナザレのイエス」を捜す(一八5)。

それは強調のために繰り返される(一八7)。

ピラトはゼカリヤ書の言葉を思い出させるように、「その名は若枝である」という言葉を隠したまま、イエスを群集に「見よ、この男だ」と紹介する(一九5)。

しかし、この決定的な言葉はピラトが付した称号、「ナザレ人(「若枝」)、ユダヤ人の王」(一九19)を暗に示している。

第四福音書において「ナザレ」という語は土地に由来する言葉ではなく、イエスの逮捕と死刑に繫がる称号なのである。

それは復活前の物語におけるイエスの正式な罪状書きであり、最後の称号であった。






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特 集

ヨハネ福音書と教会

第85号 2014年6月
定価2000円+税





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