2013年11月18日月曜日

83号「アドベントと典礼」目次


http://www.amazon.co.jp/gp/product/4882742578/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4882742578&linkCode=as2&tag=mmiyas-22特 集

アドベントと典礼

第83号 2013年11月(13年11月25日発売予定)
定価2000円+税




まえがき

ゲイル・R・オデイ (吉谷かおる・訳) Gail R. O'Day
未来に戻れ ──アドベントの終末論的ヴィジョン──」

教会の時の捉え方が循環的な性質をもつということは、聖なる物語が毎年アドベントに新たに始まるということを意味する。幼な子キリストの到来は宇宙のコンテクストに置かれ、その中では時間さえもが神のこの世界への先取りされた突入によって再定義される。アドベントとは神の新たな時代の幕開けを先取りする新たな始まりの期節であり、また希望を新たにする期節なのである。

 
ロナルド・P・バイヤース (古本みさ・訳)Ronald P. Byars
アドベントの贈り物 ──終末における約束──」

終末論はキリスト者の希望を明確なものにする。「再臨」と「最終的な神の支配」はともに奇異な期待に結びつけて考えられるため、聖書に見えるそうしたテーマやそれらにかかわる働きを説教と礼拝で取り上げないようにする力が作用する。古典的な典礼や新旧の聖書日課はこうした状況を再考し、より深く熟考することを促している。


ウィリアム・ダイアネス (松川哲広/黒田裕/吉田雅人・訳)William Dyrness
『希望に見えるものは希望ではない』 ──アドベントにおける視覚要素の探究──」

 アドベントは礼拝の中に美術などの視覚要素を取り入れることのできるキリスト教では特異な機会である。この機会に東方正教会もローマ・カトリック教会も、またためらいがちではあるがプロテスタント諸教会も信者に「そのときには顔と顔とを合わせて見ることになる」ものの一部を見ることを様々な形で奨励してきた。


ジョン・D・ ウィトヴリート (宮崎光・訳)John D. Witvliet
『擦り切れた賛美の歌は主に歌わず』 ──アドベントの感傷性に対する神学からの切り口──」

説教者や教会音楽家はアドベントがもつ感傷性を避けるために、冷静に輝かしい終末を宣言する神学的に強固な取り組みをアドベントに見出すべきである。キリスト教の古典的な教理は神学的にも鋭敏な現代の賛美歌作家たちによって命を吹き込まれ、信徒、説教者、教師、神学者のヴィジョンに多くの有益な視野を提供している。



テクストと説教の間
イザヤ書63章 19節―64章8節(R・W・ハワード/金井美彦・訳)
 マルコによる福音書13章24―37節(P・ガルブレイス/石田雅嗣・訳)
コリントの信徒への手紙一 1章3―9節(S・ワッツ=ヘンダーソン/岩田光正・訳)

 書評紹介  (榊原芙美子/宮崎 修二・訳)
 ロビン・A・リーヴァー著『ルターの典礼音楽──その原理と含意──』
 津村俊夫著『サムエル記上』
ブライアン・K・ブラウント他編『故郷への忠誠──アフリカ系アメリカ人による新約聖書注解──』
M・ユージン・ボーリング著『注解 マルコによる福音書』




2013年11月12日火曜日

83号「アドベントと典礼」まえがき



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アドベントと典礼

11月25日刊行予定



まえがき

アドベント〔待降節/降臨節〕を特集する今号では、教会暦を通して教え、説教をする聖職者のための豊富な資料、題材に常に新しいアクセントとなるようなものを紹介する。レント〔受難節/四旬節/大斎節〕についても同様の特集が予定されており〔原著は二〇一〇年一月に既刊。本号「後記」参照〕、典礼に焦点を当てた一連の特集企画では、聖書や神学に関する論文に加え、教会行事で強調される主要なテーマについて考える視野を広げるために、音楽家、詩人、芸術家などが探求しているさまざまな方法についての論考を紹介していく。この工夫について、読者諸氏からご意見をお聞かせいただければ幸いである。

ゲイル・オデイはアドベントの聖書日課に見える「終末に関する円弧」をたどっている。アドベントの聖書日課は「教会の時計をリセットする」ことによって、礼拝する会衆に「神と神の創造とともに新たに人生を始める機会」を与えてくれる。この新しい始まりは一方では「古き約束、正しい創造のときの神の無制限の約束に戻ること」を呼びかけ、もう一方では、「現在・過去・未来を再定義する神の到来」によって約束されている神の正義の完成の中へ「再び生まれる」よう呼びかけているのである。

ロナルド・バイヤーズは古典的な典礼と新旧の聖書日課の探求から、アドベントにおける「終末の約束」は教会の神学上の伝統的価値を取り戻すための贈り物であるとし、どのようにしてそれが可能になるのか、それはなぜなのかを示している。アドベントの主要なテーマであるキリストの再臨と神の王国は、なぜ教会にとって重要なのか。それは現代の世界には「希望が不足している」からである。バイヤーズはこれについて「『物事がどうなるか』が重要であるなら、誰が宇宙全体を司るのかが重要であるなら、また何らかの最終的な審判を待ち望み、期待することが正当なことであるなら、教会がその会衆の中でもっと意図的に、より深く(アドベントの贈り物について)考えるようにならなくてはならない」と述べている。

ウイリアム・ダイアネスは東方正教会、ローマ・カトリック、プロテスタント(特に改革派)で用いられている聖画像、蝋燭、祭色、豪華に飾られた祭壇、アドベント・リース、ダンス、内陣のイメージなど、広範にわたる視覚的なシンボルについて探求している。来たるべきメシアを「希望をもって待つ」とき、これらの視覚イメージは「服従により大きな可能性を与えている」。それによって信徒は「そのときには顔と顔とを合わせて見ることになるものを少しだけ見る」ことを促されている。

最後の論文ではジョン・ウィトヴリートがそれぞれ「主要なキリスト教の教義を中心に」、礼拝の中で「控え目な音楽的手段」をもって歌われる「ビジョンの七つの切り口」について述べている。多くの「純度の高い」賛美歌やアンセムがアドベントの終末論に鋭い切り口をもたらし、この季節の重要性を「ディン、ドン、ドン」や「ファ、ラ、ラ……」など、クリスマス・キャロルの「無害なフレーズ」に引き渡す「会衆と聖歌隊の平凡で穏やかな歌が厳しく矯正される」と彼は考える。カール・ドウなどの現代の賛美歌作者の作品にすでに見られるように、必要とされているのは、「古ぼけた、歯の抜けたような賛美歌」でなく、「ちょうど織り上がったばかりの歌声、織機り機から外してきたばかりの織物のように強く、目の詰った歌声、時代と感性を超える神の永遠のように新しい歌声」なのである。

J・A・ブラッシュラー
S・E・バレンタイン




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