キャスリン・オコナー「再び生きていくための嘆き」
82号「エレミヤの肖像」より
エレミヤは自分は預言者として失敗したが、それは自分のせいではないと信じて疑わなかった。
エレミヤが宣告を余儀なくされた暴力と廃墟の到来の時期を遅らせたのは、彼が代わりに言葉を伝えたその信頼しがたい神なのである。
その遅れが敵対する人々、友人、家族による嘲りと迫害を招いた――「主の約束はどこへ行ったのか」(一七15)。
神の言葉の成就が遅れたことで、彼は侮蔑と冷笑の対象に仕立て上げられた。
それで、エレミヤは間違いを犯したのは神だと宣言するのである。
その中で、預言者としての責務をめぐるエレミヤの苦しみは災害の被害者たちの苦しみや神学上のジレンマを思い起こさせる。
エレミヤは神の言葉を宣言し、神の代理となり、民に敵対し、民の残酷さの標的になっているが、彼の祈りには預言者としての使命の追求以上のものが窺われるのである。
エレミヤの肖像
第82号 2013年9月
定価2000円+税