2016年4月11日月曜日

【聖書考古学】テル・レヘシュ発掘調査 ボランティア募集


2006年以来、日本の調査隊によって発掘調査が行われている「テル・レヘシュ」Tel Rekheshの調査がこの夏も行われます。イスラエル北部、タボル山付近の遺跡です。

調査隊では学生のボランティア参加を広く求めており、参加説明会が都内で4月23日に開かれることになりました。

テル・レヘシュ発掘調査 ボランティア募集

参加説明会 4月23日  15時〜

場所 上智大学(東京・四谷)7号館 13階 神学部研究室

  (事前連絡は必要ありません)
 

 発掘期間 2016年7月31日〜8月12日

(前後に移動日あり。部分参加など、詳しいことは説明会などでご確認ください。学生ではない方の参加も受け付けております)

発掘の様子などは下記のページで。
http://rekhesh.com/rekhesh.com/Home.html
http://rekhesh.com/rekhesh.com/Photo_Galleries.html

調査隊関係のニュースレター「イスラエル考古学研究会」
http://www.rikkyo.ne.jp/grp/tk/


 暫定的な問い合わせ先
 5511668@rikkyo.ac.jp
(件名に「レヘシュ発掘」と明記してください)

2016年2月28日日曜日

評伝『教皇フランシスコ』【書籍紹介】

『教皇フランシスコ キリストとともに燃えて――偉大なる改革者の人と思想』 
オースティン・アイヴァリー

 教皇フランシスコは歴代教皇と何が違うのか?
世界的ベストセラー評伝、邦訳まもなく刊行。

日本のニュースではこぼれ話程度にしか扱われないローマ教皇がなぜアメリカ大統領選の選挙戦で話題になるのか? なぜドナルド・トランプは彼について何かを言いたくなってしまい、その後、言わない方がいいと判断することになったのか? 読めば、今後、中東の難民問題や貧困の問題、社会格差の問題など、海外ニュースの見方が確実に変わる。日本の国内ニュースへの視点も変わるはず。


やや先行して、写真を多用した本も出ている。同じ値段である(2800円+税)。ページ数は前者が約3倍の629頁。写真をとるか、文章をとるか。








 フランシスコ教皇は宗教間の対話を進めようとしていることでも知られている。ユダヤ教のラビとの対談は非常に面白い。対談そのものは教皇になる以前のもの。

『天と地の上で―教皇とラビの対話』(アブラハム・スコルカ、フランシスコ教皇)





教皇になる前のインタビューでは、  『教皇フランシスコとの対話』 (F.アンブロジェッティ/S.ルビン) が一番充実している。この2書を訳しているのは八重樫克彦・八重樫由貴子。スペイン語圏での生活が長いご夫婦である。



教皇就任後のインタビューでは、これ。ジャーナリストとの対談。早々にどこかが訳すはず。













カトリック信徒の方には、特に下の3冊。教皇の公式文書としては異例の長さのものが続いている。



近々邦訳が出るはずの「環境問題に関する回勅 ラウダート・シ」は信徒向けの体裁をとっているが、実際には世界全体に向けたものになっている。邦訳は多分、カトリック中央協議会。いいのが出るといいね。








もう一冊というのであれば、
 





最初に挙げた新刊はこれらの本をすべて兼ね備えていると言っていい。
(ナショナルジオグラフィックのカラー写真の本は除いて)





 

2015年11月28日土曜日

天地創造から見る医者と獣医 〈書籍紹介〉

NHK教育の「スーパープレゼンテーション」を見ていたら、動物も診察する人間の医者の講演だった。

天地創造における人間の特別視の影響がこんなところにも残っているとは思わなかった。医者は進化論を信じていない? 

盲点を突かれる講演。 

いつものことながら、TEDは新鮮な視点を与えてくれる。

講師の本の邦訳は下記。 


http://www.amazon.co.jp/gp/product/4772695389/ref=as_li_tf_il?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4772695389&linkCode=as2&tag=mmiyas-22バーバラ・N・ホロウィッツ/キャスリン・バウアーズ(土屋晶子・訳) 
『人間と動物の病気を一緒にみる』 

インターシフト刊  2300円+税





同番組は同内容のものが下記で見られる。
TED「バ-バラ・ナッタ-ソン・ホロウィッツ: 獣医が知っていて医師が知らないこと」








2015年10月11日日曜日

90号「年をとるということ」まえがき





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年をとるということ

第90号 2015年9月
定価2000円+税




まえがき





「生まれる時」があり、「白髪が輝く冠」である時があり、「死ぬ時」がある(コヘ三1、箴一六31)。

賢者たちに由来するこのような知恵の文学は現代の物書きが「老齢」の問題で引用する言葉の宝庫である。

 


マーガレット・ガレットは「アメリカにおける老人差別は悪化の一方」で、「アルツハイマー病の時代」が年配者たちに恐怖に与えていると論じている。

「老境に入った」人が直面する恐ろしい二分法は生物学的というよりも文化的なもので、そこで年配者は賢人か認知障害者のどちらかに分けられてしまう。

ガレットはこの二分法を老齢と知恵の間にある伝統的な結びつきを維持することで打破しようとしている。

わたしたちは「互いが心置きなく年を重ね、―死に至るまでも―今よりずっとやさしく、文化的に接し合うことができる」し、そうしなければならない。
 



ダグラス・ナイトはヘブライ語聖書とその様々な社会・経済的背景を周辺地域の文化や考古学的な証拠などから検討し、イスラエルにおいて「老齢」とは四〇歳以上のことを意味していたと結論づける。

年配者は困難や不測の事態、病気に満ちた労働集約型の生活に耐えて生きてきたが、「家族や共同体のために長年尽くしてきたのであり、それに見合った形で尊敬」されるべきとされていた。

聖書テクストが明確にしているように、年配者への世話と敬意は「道徳的、社会的義務であり、それに違反すれば共同体から罰せられる」。
 



米国の六五歳以上の人口比率は二〇三〇年には現在の一三パーセントから二〇パーセントになる。この先例のない人口統計上の変化にどう対応すべきだろうか。

ハリー・ムーディとアンドリュー・エイケンボームは連帯、持続可能性、管理責任という三つの倫理的原則を深い宗教的な根をもつものと見ている。

こうした原則は長い間、環境保護と関連するものと受け止められてきたが、ムーディとエイケンボームは寛容、正義、感謝という徳に基づく「環境神学」とそれを結びつけ、世代を超えた責任の絶対的原理にまで拡大させている。
 



「教会に専従している人」は老齢という旅路にある人への「ケアの提供を期待されている」が、人生の最後の三分の一の複雑さ(長寿化、社会的・人口統計学的な変動など)が教会に新しい課題を突きつけている。

 ヘンリー・シモンズはこうした課題に牧会的な想像力をもって対応する四つの戦略として、会話を共有すること、儀式の分かち合い、神の国が来るものとして世話をすること、政治的ホスピタリティを提案している。

教会がこの課題に挑戦すべく立ち上がれば、年配者へのケアは「恵みの出来事」となる。
 



トーマス・リンチは生者と死者、死すべき者である人間を一度きり変化する現実の際にもたらすことによって、その死すべき運命を担うのを助けてくれるのが「よい葬儀」であるとしている。

「空の墓」は「キリスト教の決定的な真実」であるので、「その神学は終末論によって形づくられ」、「神についての考えは、終わりに起こることの熟考によって知らされる」。

故人の遺体が安置され、残された者を思いやり、暫定的なものであれ死の意味について答える物語があり、聖なる場所で死者を葬る「よい葬儀」において「命の奇跡と死の神秘は明白に繫がっている」。



ジョン・キャロル
サミュエル・アダムズ





2015年10月2日金曜日

《書籍紹介》「ゲーム漬け」は危ない


電車に乗っていると、隣の人がスマホのゲームをしている。一心不乱。30分以上、休むことなく。

こういう経験は珍しいことではない。皆さん、よくご存じのように。

なにやら丸いものをなぞって、消していくゲームをしている人が多い。無心になれるのだそうだ。仕事のストレス解消とか。

確かに、ストレス解消にはなるらしい。しかし、その状態が長く続くと(一説では15分以上) 、脳の機能に確実に影響が出るそうだ。科学的なデータだという。

大人でもそうだというのだから、成長過程にある子どもに及ぼす影響は推して知るべし。

その影響で人相が明らかに変わってしまった子供の写真とか、見てしまった。この本には出ていないが、かなり衝撃的。別に顔が崩れてしまうわけではない。全く別人の顔になってしまうのだ。子どものうちなら元に戻らないわけではないというが、発育や、将来における知的活動に影響は出るだろう。


 
田澤 雄作 (教文館 1404円/税込)










昔から「ゲームをやり過ぎるとバカになる」 と言われているが、実例やデータを突きつけられると、自分はゲームをやらなくとも、人の子の親としては心配にならざるを得ない。

単純なゲームに夢中になっている状態は麻薬を使っている状態と非常に似ているのだそうだ。パチンコなどのギャンブル依存症もそれに近いかもしれない。

そういうような話を聞きかじっていたが、先頃、以下の本に遭遇。「デジタル・ヘロイン」なる惹句が帯を飾る。



インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで 

岡田尊司 (文春新書 886円/税込)
 


こういう本はたとえ真剣に考えなければならない問題を含んでいたとしても、ネットゲーム会社の広告収入をかなり頼りにしている民放テレビでは取り上げられる機会は少ないだろう。

本だけではなく、話題としても、 流行りのゴールデンタイムの医療番組でこの話が取り上げられることもないだろう。ネットゲームの会社がスポンサーの深夜番組ならなおさら。




2015年9月27日日曜日

Generativity 次世代育成能力



ハリー・R・ムーディー
W・アンドリュー・エイケンボーム
「世代を超えた環境倫理に向けて」
(90号「年をとるということ」)



人は自分の家族の中で世代をまたいだ義務、つまり親の子どもに対する義務、子どもの親に対する義務について考えることに慣れている。

親族集団と家族は持続可能性、つまり第一に生き物であることを示す誕生と死のサイクルという生物学上の基礎であり続けている。

持続可能性のこの側面は非常に根本的なものであるため、偉大な心理学者であるエリク・エリクソンはこれを人生の様々な段階における徳目の図式の中で強調している。

エリクソンは成熟した大人にとって最も重要な徳は「次世代育成能力」と理解していたが、ジョン・コートルはそれを「自分を長く生かすこと」という注目すべきフレーズに練り上げている。
 



「持続可能性」という語は環境保護思想の標語として広く普及し、その語は中身の濃い複雑な歴史をもつことになった。

環境保護論者は持続可能性について語るとき、エリクソンの次世代育成能力という徳のようなものを援用するが、たいていはそれがもつ宗教性には言及しない。

実際には、大きな世界宗教の実践の核心には常に持続可能性がある。

そうでなければ、それらの宗教は生き残らなかっただろう。

これからの世代に対する義務の出発点は感謝、つまり自分たちがこれまでにいた世代の人たちから受け取ったものを認めることにある。

聖パウロの「いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか」(Ⅰコリ四7)という問いよりそれをうまく表現しているものはない。

つまり、自分たちより前にいた人たちへの感謝は自分たちより後に来る人たちへの義務につながっているのである。






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特 集

年をとるということ

第90号 2015年9月
定価2000円+税



2015年9月20日日曜日

90号「年をとるということ」目 次


9月30日 発売開始




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年をとるということ

第90号 2015年9月
定価2000円+税




まえがき





マーガレット・M・ガレット(榊原芙美子・訳)Margaret Morganroth Gullette
知恵と認知症 ―アメリカ社会はこの二者択一に陥ったのか

    社会が生み出してきた「知恵か認知上の不全か」という二分法打をち破るために、著者の母親が九〇代を迎えたときの具体的な状況を描くことが試みられる。アメリカの福祉一般が直面している危機には医療診断や介護上の失敗もあるが、伝統的に老齢と知恵の間にある決定的な結びつきがもたらし続けている問題も小さなものではない。この問題に希望を見出すには、異なる考えに目をやり、年長者に対する尊敬を回復し、知恵が見出されるときにはいつでもそれを認める必要がある。 
     《キーワード》 老人差別、アルツハイマー病、認知不全、協働知能(Collaborative intelligence)、認知症、記憶障害、多重知能、知恵、知恵文学
     


ダグラス・A・ナイト (標珠実・訳)Douglas A. Knight 

ヘブライ語聖書における年齢観
    ヘブライ語聖書において、老いや高齢者について言及しているテクストは古代イスラエルにおける実際の社会経済的背景に照らして理解する必要がある。資料が示すところによれば、当時の寿命は四〇歳前後であり、そのくらいの年齢で老人とみなされ、老いの症状に悩まされていたことが分かる。また、老いの苦痛について描写している周辺文化の文学についても検討する必要がある。
     《キーワード》 老化、老い、ヘブライ語聖書、イスラエル、社会史、古代近東、クムラン、メギド、メロン


ハリー・R・ムーディー/W・アンドリュー・エイケンボーム (吉谷かおる・訳)
Harry R. Moody and W. Andrew Achenbaum
世代を超えた環境倫理に向けて―連帯、持続可能性、管理責任について―
    環境問題の宗教的基礎づけが環境倫理の基礎、すなわち世代を超えた義務と見なされることはほとんどない。ここでは連帯、持続可能性、管理責任という三つの倫理的原則を提示する。これら三つが宗教的に根ざしていることがこれからの世代のためになすべき義務を明らかにしている。「連帯」はまだ生まれていない人間にも人間以外の種にも及ぶ。「持続可能性」は過去と未来の世代との関係から考察される。「管理責任」は地球規模の環境変化を理解し、絶望ではなく希望によってそれに対応する今日の世代に課されている責任の絶対的原理である。
    《キーワード》 高齢化、連帯、持続可能性、管理責任、世代、環境神学、環境

ヘンリー・C・シモンズ (古本みさ・訳)Henry C. Simmons
ケアへの挑戦
    「人生の残り三分の一」におけるケアに対する会衆の期待は教会従事者に課題をもたらしている。寿命が伸び、病死が増加するにつれ、「人生の残り三分の一」という期間は今や長く、複雑なものとなっている。現代における社会および教会の人口動態はケアに対する新しい要求と限界を生み出し、ケアの個人的な要求に応えるのが困難な課題となる教会従事者もいる。ここでは、長期間にわたって持続される会話、信徒間の儀式と経験の分かち合い、「~であるかのように」生きること、政治的なホスピタリティという四つの方策について考えてみる。
    《キーワード》 老い、人口動態、社会、教会、資源、親、ケア、儀式、環境
     
トーマス・リンチ(吉岡誠悦・訳)Thomas Lynch
よい葬儀と「空の墓」
    キリスト教の決定的な真実とは「空の墓」である(ヨハ一九38―42)。それゆえ、キリスト教の神学は終末論や生と死に対する最高の希望によって形成される。したがって「よい葬儀」とは、終末のための演習なのであり、死者の世話をすることによって、どのように生に仕えるかということなのである。  
    《キーワード》 死、葬式、火葬、記念碑、身体、救い、生存者、物語



テクストと説教の間
エレミヤ書31章1─6節 (ケリー・H・ウィン/標珠実・訳)
ヨハネによる福音書20章19─23節 (ケイシー・トンプソン/齋藤百合子・訳)
エフェソの信徒への手紙1章15─23節 (ギャレット・アンドリュー/齋藤百合子・訳)


書評紹介(標珠実、榊原芙美子、吉谷かおる・訳)
ギルバート・メイレンダー著『人は永遠に生きるべきか ―老いに関する倫理的両義性―』
トーマス・G・ロング/トーマス・リンチ著『よい葬儀 ―死、悲しみ、ケアする共同体―』
ドナルド・H・ジュエル著『聖典の想像力を形づくる ―聖書の真実・意味・神学的解釈― 』
マーヴィン・A・スウィーニー著『タナハ ―神学的・批判的ユダヤ教聖書入門―』



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