ロナルド・P・バイアース
書評・トマス・ロング著『死者を歌で送り出す』
(88号「イースターの祈り」)
トーマス・ロングは本書『死者を歌で送り出す』として結実する調査を始めたとき、葬儀とは主として遺族のための牧会的ケアであるという一般的な憶測を問い直すことはしなかった。
たしかに、その考えは疑う余地のないもののように見えるほど伝統的である。
しかし、「かつて共有されていたこの見方は、深刻に損なわれている」と彼は考えるようになった。
「たしかに、葬儀は慰めをもたらす。
……しかし、福音書の物語を再び語り、その意味を取り戻し、故人の洗礼によるアイデンティティを再確認し、神を崇めるというもっと大きな業の一部であればこそ、その慰めは与えられるのだ」(xiv頁)。
葬儀は蔓延するグノーシス思想から多大な影響を非常に長い間受けてきた。
グノーシス思想における人間は、霊魂と肉体に分離可能な要素で構成された存在である。非物質的な霊魂は善であり、肉体は取り残される
(ロングは『思い出から希望へと繫がる説教』という別の著作でグノーシス思想の影響に関する批判をさらに展開している。
Preaching from Memory to Hope, Westminster John Knox, Louisville, 2009)。
しかし、キリスト信仰とは肉体に宿るものであり、肉体なしの不死ではなく、「体の復活」−− 聖書によれば、変容した肉体−−を信じるものである(ヨハ二〇、ルカ二四、Ⅰコリ一五参照)。
ある意味、人間の体そのものがサクラメントの対象であるとも言える。
なぜなら、他者について知っていることのすべては身体的に伝えられるからである。
教会が人間の死に際して取る働きとは、肉体を視界から消し去ってしまうことではなく、墓や地下墓室まで行進しながら故人を「歌とともに」送ることである。
それはつまり、一般的な意味での死を否定することではなく、「死」という力に挑むことなのだ。
「墓の前でさえ『ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ(神を讃美せよ)』と歌声を上げる」と唱えられているように。
特 集
イースターの祈り
第88号 2015年3月
定価2000円+税