2010年11月2日火曜日

79号「雅歌」 発行

日本版インタープリテイション79号  特集「雅歌」刊行しました。


ま え が き

伝統的に「ソロモンの歌」として知られ、一般には「雅歌」と呼ばれている愛の詩は聖書正典の中ではユニークな存在である。聖書にはエロスとしての愛をあのようにじっくりと臆面もなく言祝ぐものは他にない。この異例な書はユダヤ教においてもキリスト教においても幅広い解釈を呼び起こしてきた。マルク・シャガールが「雅歌・三」〔本号の英語版の表紙に用いられた〕で美しく描いているように、この詩は恋人同士が交わす愛に満ちたやりとりを中心に展開され、多くの人は彼らの結婚を祝うものと解釈している──まさにシャガールがしているように。その一方で、イスラエルへの神の愛、あるいは教会へのキリストの愛を描いた宗教的な寓話とも理解されている。

今号ではまず、D・グロスバーグ准教授が雅歌における自然、人間、神の三角関係を辿り、そこでは直接言及されない神が他の文脈では神に用いられる言葉でいかに表現されているかを示している。その注意深いヘブライ語本文の研究によって、雅歌には「細心の間接表現、巧妙な曖昧さ、比喩の輝きをもって非常にエロティックでありながら抑制された世界が描かれ、詩人はそこに人と自然と愛のすべてが芽を吹き、 開花し、充実と完成に向けて機が熟していることを歌にしている」と論じている。


愛のうちにあっては〈1〉+〈1〉はいつでも〈2〉になるわけではない──トッド・リナフェルト准教授はそう示唆する。恋する二人がひとつになるという明らかな等式に、第三の要素が決定的な役割を演じる、もっと微妙な現実がもたらされる。雅歌におけるエロスとしての愛の複雑さは、隔たりから生じ、また決して解決されることのない自我の現実から究極的には生じる欲望と緊張に満ちている。F・W・ドブス=オルソップ博士は雅歌四章一─七節に見える恋する女の美しさに注意深い分析を試みている。そこで称えられている美しさは恋のかけひきにおいて表現される活動的な美である。その美しさは現代文化に見られる女性不信の歪んだ愛を超えて、生を豊かにする正義と愛の関係という秩序立った釣り合いのよさを描き出す。

キャルロ・シュワイツァー准教授は雅歌の比喩的な言葉に挑発的な解釈を施し、牧会において相談を受ける者のために、本来セラピーにおいて理解される愛の役割の好ましい手本をに提示している。特に鬱ゆえに神に切り捨てられ、疎外されていると感じてしまっている人にとって神の愛が変化への力となり得るという。

雅歌における愛の美しさは、人間と自然に対する暴力に苛まれている世界に、聖書の別の書で「より素晴らしい道」と呼ばれたものが何であるかを教えてくれる。


ジェームズ・A・ブラシュラー
サミュエル・E・バレンタイン 

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