2011年10月5日水曜日

80号「神の像」

インタープリテイション第80号 特集「 神 の 像

2011年7月 定価2100円 (本体2000円+税)


神は言われた──「われわれに似せて、人を造ろう」


まえがき


W・シブレイ=タウナー (宮崎 修二・訳) W. Sibley Towner
「神の写し ──創世記一章二六-二八節と神の像──

創造主は神の像として人間を作ったという祭司文書記者の主張は大胆でもあり、曖昧でもある。とりわけ「像」という言葉を神と神の被造物の関係に入ることができるという意味にとれば、この概念はその資格を与えているということでもある。われわれは人間の罪深さを気難し気に強調するけれども、旧約聖書は人間の本質について、われわれが想像するより遙かに肯定的である。


D・クラウス (吉田 忍・訳) Deborah Krause
「現実としつづける ──新約聖書における神の像──

新約聖書における「神の像」はヘブライ語聖書、初期ユダヤ教、ヘレニズム通俗哲学に由来する様々な伝承が混じりあった概念である。それらの伝承はすべて、人間存在の意味を探求することを主題としている点で一致している。祭司文書記者やフィロン、パウロは神の像を被造物すべてに対する神の支配権を証言し、この世において神に刃向かっている権威に対する異議を唱える手段と解釈した。神の像という主題は初期キリスト教の経験と、いかにその経験が神の国を宣べ伝えるイエスに従おうとするキリスト者を勇気づけるかを明らかにしてくれる。



D・F・オッターティ 吉田 忍・訳)Douglas F. Ottati
「上とはどっちだろう? ── キリスト教神学と現代宇宙論に関する試論──

神や世界、私たち自身に対する神学的なイメージは科学的な発見や知識、信念を考慮に入れようとすることで変化する。現代における宇宙およびその中にある私たち人間の場所に関する知識に応じて、そのイメージはどのように変わるのだろうか。


A・W・アステル宮崎 修二・訳)Ann W. Astell
「聖書における神のイメージと「神の像」としての〈私〉── エーディト・シュタインの貢献──

シュタインはナチによる迫害のただ中でキリストとの形成的な一致に繋がるアイデンティティ形成の神秘的な筋道を聖書における神のイメージの中に見出していた。
        【Keyword】 十字架の聖ヨハネ、跣足カルメル修道会、現象学、自己移入




テクストと説教の間

詩編8編(E・ヒンソン=ヘイスティ/石原 良明・訳)
マタイによる福音書3章1―12節(R・R・ロバーツ/石原 良明・訳) 
マタイによる福音書26章6―13節(E・B・フォード/石原 良明・訳)
ヘブライ人への手紙2章10―18節(S・R・ハーモン/石原 良明・訳)


書評紹介

  J・R・ミドルトン著『イメージを解放する──創世記一章における神の像──』
 J・R・ランドボム著『註解 エレミヤ書二一-二六章・三七-五二章』
 F・J・マロニー著『註解・マルコによる福音書』
 J・M・オコナー著『パウロ ──その物語──』





 

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