2015年8月23日日曜日

フィリピの信徒への手紙と「キリスト賛歌」



ジョセフ・マーシャル
「キリスト賛歌のレトリック
(87号「フィリピの信徒への手紙」より)



フィリピの信徒への手紙はパウロ書簡の中でも些細で重要度の低い書に分類されることがあまりにも多い。

そのような評価のせいで、不幸なことに、この手紙はあまり検証されないままにされており、四章という短さの中に様々な考えが複雑に絡み合ってひとつの主張をなしていることを考えると、それはやはり不幸なことと思われる。

パウロ研究者の多くがこの手紙を見過ごしにしているが、一部の専門家はその中心的なテーマや主張、あるいは主要なイメージ群に関して幅広く問題提議をしている。

さらに詳しい学問上の問題、たとえば苦難と喜びという奇妙な組み合わせや、古代における友情と庇護の概念の適用と変化、また市民の連帯についての軍事的、帝国主義的な文脈といった点については今号の他の論考などで扱われるだろう。
 




ここではフィリピの信徒への手紙に対して取られる解釈のアプローチを概観していく。

この手紙への印象や興味は主に次の二つの条件によって規定されている。

第一に挙げられるのは二章6―11節の「キリスト賛歌」に注目する傾向であり、手紙全体よりもこの部分に限定した分析が行われがちである。

何らかの期待をもって今号のインタープリテイションを開いた人からしてみれば、その期待のうちのひとつはキリスト賛歌が今号の論考の中で最高の場所を与えられているであろうという期待であったはずである。

分析に影響を与えている解釈上の第二の傾向はフィリピの信徒たちが温和で害がなく、概して友好的であるという印象が定着していることである。

そうした印象はこの手紙をすぐに考察の対象から外し、〝愛を込めて〟その意義を小さくしてきた学問的姿勢、あるいは特定の学者が行った手紙の分析方法や、この支配的なイメージとの関わり方によって生み出されたものと考えられる。


 


特 集

フィリピの信徒への手紙

第87号 2014年12月
定価2000円+税



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