ベネディクト・ヴィヴィアーノ
「マタイ福音書における神」
(89号特集「ともにある神 マタイ福音書」)
〈三つの位格〉
マタイ福音書は神について何か特徴的なことを述べているのだろうかという問いはすでに立てておいた。
インマヌエルの扱いがそのひとつに挙げられることはすでに言及したが、最終節の前の節に三つの位格が用いられる洗礼定式文「すべての民をわたしの弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け……」が見られることも特徴のひとつであろう。
この定式文はまだ本格的な三位一体の神学を表してはいないので、三つの位格と呼んでおく。
新約聖書の他の個所ではイエスの名のもとに洗礼が施されている。
マタイがこの特徴的な定式文を提案したのである。
マタイはどのようにしてこれに到達したのだろうか。
手短に言えば、復活後の初期キリスト教徒は男性にも女性にも同じように行われる(割礼とは違った)入会儀礼を必要としており、そこに洗礼者ヨハネの洗礼の儀式が受け継ぎやすいものとしてあったということであろう。
この定式文はおそらく、ダニエル書七章にあるような以前から存在する黙示思想の型に基づいて作ったのだろう。
ダニエル書七章には「日の老いたる者」(マタイはこれを「父」としてキリスト教化した)、「人の子」、マタイが聖霊へと縮合した「いと高き方の聖者たち」が見られる
(「神の霊」は創世記の初めの一頁目から黙示録の最終章に至るまで聖書の中に存在する)。
エゼキエル書一章と第一エノク書一四章には「子」と「聖霊」の代わりに、「選ばれた方」と天使が見られる。
特 集
とともにある神
マタイ福音書
第89号 2015年6月
定価2000円+税
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