2015年5月17日日曜日

五人の女



ジョン・ウィトヴリート
「擦り切れた賛美の歌は主に歌わず」
(83号特集「アドベントと典礼」)




 

アドベントの具体的な敬虔において補足的な活動を行うことは、聖書日課で割り当てられる聖書個所にこだわらずに活動できる共同体には可能である。

イエスの誕生についての新約聖書の物語はアドベントやクリスマスの礼拝に繋がることはほぼないような内容で始まる。

マタイ福音書はほんの十七節を用いて、イエスの家系を辿り、イエスが「アブラハムの子、ダビデの子、メシア(キリスト)」(1節)であることをはっきりと確認する。

この章はイエスのメシアとしての正当性を確立するために、永遠の昔から続く神の計画における意図を伝えている。

しかし、系図の詳細はなお一層深い謎を示している。

イスラエルのメシアがアブラハム、イサク、ヤコブの末裔であるだけではなく、タマル、ラハブ、ルツの末裔でもあると紹介されていることを誰が想像できたであろうか。

真に神は神秘的な仕方で働かれているのだ。神は普通の人と特別な人、罪人と聖人、勝利と悲劇を通して働かれる。

このことはメアリ・ネルソン・キーサンの物語性のある賛美歌「マタイ福音書には五人いる」にも表されている。
 



マタイ福音書には五人いる、
名前で呼ばれる信仰の母が。
皆、イエス・キリストの先祖であり、
それぞれ蔑みに耐えてきた。
そんな女たちの存在を、今誰が考えるだろう、
すべては神が望まれたことだったのだと。
彼女らが選ばれたことは何と不思議なことか、
それによって、神のご計画が成し遂げられるとは。
 


(くりかえし)
神が彼女たちの用い方を見つけられたから、
彼女たちの忠誠心は燃え上がった。
そして、確かに、神は私たちをもまた用いてくださる、
 光をかかげる者として。
 


哀れなタマルは望まれない妻。
たびたびやもめとなり、
もう人を頼るまいと決めた。
不誠実で気まぐれな男など。
それほどまでに狡猾な女。
不満をもらすより行動し、
ことを自らの手中におさめ、
喪失を利得に変えた。
 


公平なるラハブはエリコに住み、
夜に働く女。
ヨシュアが斥候を送った時、
それをかくまった。
彼女は王に言った。彼らは立ち去ったと。
別の道を行ったと。
彼女は信じていた、神の民が、
エリコにとどまるということを。
 


やもめのルツはモアブの人。
故郷を後にした。
ベツレヘムに移り住み、
優しい農夫と結婚した。
ボアズとの間に生まれたその息子は、
ナオミの心を賛美で満たし、
このモアブの異邦人こそが、
ひとりの王の祖母となった。
 


ウリヤの妻は美しい女。
その名はバトシェバ。
ダビデ王は彼女を自分のものとして求め、
彼女を愛した、彼の恥ずべきこととして。
この御心にはかなわぬ交わりにより、
ひとりの幼子が生まれた。
それがもたらす縁の糸は、
約束の嬰児に至る。
 


若きマリアはナザレに住み、
そこで結婚した、
ヨセフという村の大工と。
しかし、そこへ天使が告げた。
「愛しいマリア、今あなたは身ごもっている」。
マリアは微笑んだ、「そうなりますように」。
「私たちの神は、私に大いなることを行われた」。
そして、ヨセフは言った、「分かりました」と。
 


マタイ福音書には五人いる、
名前で呼ばれる信仰の母が。
皆、イエス・キリストの先祖であり、
それぞれ多くの蔑みに耐えてきた。
神が彼女たちの用い方を見つけられたのであれば、
人としての苦境にあったけれども、
だから希望することができる、私たちもまた、
神の目に価値のある者なのだと。



 

クリスマスまでの数週間に、このよく忘れられてしまう五人の女性たちの物語は神の摂理がキリストの最初の降臨をもたらしたことを驚くべき方法で思い起こさせてくれる。

アドベントの二つの焦点という脈絡において、これらの物語は来たるべき神の国の完成をもたらすために神が選ばれた不思議な方法を知るべきだと問いかけてくるのである。

 



特 集

アドベントと典礼

第83号 2013年11月
定価2000円+税



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