88号『イースターの祈り』後記
◎イースターの背後にある歴史を説明しようとするとき、ある種の難しさを感じる人も多いのではないだろうか。
クリスマスの場合、イエスがその日に生まれたわけではなく、キリスト教がローマの国教となり、冬至の祭りと結びついてイエスの誕生を記念する祝いをクリスマスの日にするようになったと説明されるが、この説明がもつ気軽さはイースターにはないように思われる。
もちろん、イースターはユダヤ教の過越祭と直接結びついており、その背景として過越祭の話をすることにはさほどの問題はない。
◎大きな違いはクリスマスが喜ばしさ一色の行事であるのに対して、イースターが「キリストの復活」を祝うと同時に、その「死」も祝うという点にあるだろう。
十字架が単なるアクセサリーのひとつとして見られる日本文化の中でも、それが死と結びついていることは理解されている。
◎大学などでひとつの宗教としてのキリスト教を教えるとき、「復活」が十分に理解されていないことに気づく。
説明すれば理解してもらえるが、ミッション系の出身である程度キリスト教の知識がある人からも「ちゃんと説明されたことがなかった」と言われることが意外に多い。
◎宗教を問わず信仰一般に対する忌避の感覚がある中、「復活」のような特殊な事柄を説明する機会は滅多にない。
宣教という文脈を離れて、「復活」を一般に理解できるような形で説明する機会は大切にすべきだろう。
それを避けるのは単に「復活」が「死」と結びついているからだろうか。
今号の論考はどれもこの問題を改めて問い直しているように思われる。
宗教の意義が大いに問われている昨今の状況の中、信仰心について考える材料が提供できていれば幸いである。
特 集
イースターの祈り
第88号 2015年3月
定価2000円+税
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