2014年5月9日金曜日

ヨハネ福音書における教会と個人(2)



それと同時に、ヨハネ福音書は教会の一体性を強く強調する(一〇16、一一52、一七20以下)。

そのことが示唆するのは教会の一体性に問題があったということである。

ヨハネ書簡はヨハネ福音書における教会概念から問題が生じていたことを示している。

ヨハネ福音書は教会とナザレのイエスの間にあった隔たりを橋渡ししたが、それによって教会は歴史から切り離されかねない危険にさらされることになった。

第四福音書は「〈子〉のうちに〈父〉の栄光を認めた者はあらゆるものをもっており、他には何もいらない」と主張しているが、ヨハネ書簡は「教理においては正統、実践においては慈善」を主張する。

それゆえ、信仰者はキリストだけでなく、正統主義の教義のうちにもとどまらなければならないことになる。

ヨハネ福音書の教会概念は見事ではあるが、欠点もある。

個々の信仰者と受肉したロゴスの間にきわめて明瞭に一体性を見るが、それはグノーシス主義への道を開くことであった。

そのため、初期教会はヨハネ文書を受け入れたが、必要なバランスをとり、軌道修正するためにそれらを共観福音書とパウロ書簡の横に並べて置くことにしたのである。


R・アラン・カルペッパー
ヨハネ福音書における「教会」を求めて
 (インタープリテイション85号「ヨハネ福音書と教会」




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特 集

ヨハネ福音書と教会

第85号 2014年6月
定価2000円+税







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