フランシス・マローニーは「ヨハネ福音書におけるイエス磔刑の物語はイエスに起こったことというより、イエスが信仰者たちに何をするのかを語っている」という鋭い見解を述べている。
最初に気づかされるのは、ヨハネ福音書が他の記事に見られる十字架上のイエスのへ嘲り、悔い改めた盗人との会話、第三、第六、第九の時刻、全地を覆う闇、神殿の垂れ幕が裂けたこと、地震、百人隊長の告白、墓が開いたことなど、多くの細部が省かれていることである。
その代わりに、イエスの死に関する伝承のうち
(1)イエスの罪状書き、
(2)衣服を分けたこと、
(3)イエスの母と〈愛された弟子〉への言葉、
(4)イエスの渇きと最後の言葉
に焦点を合わせ、それぞれについて共観福音書よりも詳しく記録している。
このそれぞれには教会がどうあるべきかを定義する派生的な意味があると考えられる。
R・アラン・カルペッパー
ヨハネ福音書における「教会」を求めて
(インタープリテイション85号「ヨハネ福音書と教会」)
ヨハネ福音書と教会
第85号 2014年6月
定価2000円+税
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