〈書評〉クレイグ・R・ケスター著
『命の言葉 ─ ヨハネ福音書の神学』
Craig R. Koester, The Word of Life: A Theology of John’s Gospel. Eerdmans, Grand Rapids, 2008. 259pp. $21.00. ISBN 978-0-8028-2938-2.
ケスターは現代におけるヨハネ福音書の読者が提起する問いを終始真剣に取り上げる。
ヨハネ福音書の物語にしみこんでいる反ユダヤ的レトリックとその危険性──この福音書を説教したり教えたりする者すべてにとって深刻な倫理的問題──にもっとはっきりと注意を促すべきと考える者もいるだろう。
しかし、ヨハネ福音書の中で目下のところ最も論争の的となっている言葉、すなわち一四章6節のイエスの主張、「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通してでなければ、誰も父のもとに来ることはない」には細心の注意を払っている。
この言葉は信徒の間でも論争の種になってきた。
多くの人はその排他的な響きに問題を感じ、様々な宗教が多元的に共存する世界では全く厄介なものと見ているが、その一方で、この言葉は真正なキリスト教信仰のリトマス試験紙とも見られている。
ケスターはこの言葉について、ヨハネ福音書の物語の文脈において最も包括的な主張のひとつであり、すべての人が神から切り離されているという人間の根本的な問題を表現していると論じている。
「誰も父のもとに来ることはない」にはすべての人が含まれているのだ。
ケスターの考えでは、人間の状況に関するこの否定的な評価がイエスを道として肯定的に提示するヨハネ福音書の根底にはある。
ヨハネ福音書がイエスを道と見るのは神との関係を閉ざすためではなく、罪によって切り離されてしまった人間と神の関係を繫ぐためである(一四6a)。
「でなければ」という語は……「誰も父のもとに来ることはない」という定言的判断が最終決定ではないことを意味する(一四6b)。
「でなければ」は閉ざされた部屋に光を入れる窓のようなものであり……神への通路を制限するのではなく、神への通路をつくり出すものなのである(211頁)。
さらに、ケスターはヨハネ福音書のメッセージがもつ特殊な面と普遍的な面は同時に聞くべきと主張する。
第四福音書は普遍的な視野をもって特殊なメッセージを発しているからである。
ヨハネ福音書は宗教間の論争で取り上げられたことがないわけではない。
この文脈においてヨハネが示そうとしているのは、神がイエスにおいてなしたことを通してのみ神は知られるということである。
ヨハネが読者の生きる多元的な世界に語りかけることができるのは、差し出すべき何か独自のものがそこにあるからである。
福音書記者の理解では十字架にかけられ、復活した救い主を通してのみ神の愛は伝えられるのだから、そのメッセージの特殊性を損なうということは、神の愛の根本を損なうことなのである。
またそれと同時に、ヨハネの理解では、神の愛はこの特殊な形で世に与えられるとされている(三16)(214頁)。
(インタープリテイション85号「ヨハネ福音書と教会」)
ヨハネ福音書と教会
第85号 2014年6月
定価2000円+税
0 件のコメント:
コメントを投稿