D・マーク・デイヴィス
「神の業への驚き ―パウロの救済論の中心―」
(84号「他者」へのまなざし)
パウロは論証的な言葉では恵みの神秘を十分に表現できないという意識で活動していただろう。
それゆえ、パウロは論証的な議論の終わりを詩的な言葉、すなわち口にされたことを超えて言い得ぬことに到達する過剰の言葉を用いることで結んでいるのである。
ここまで、キリスト教徒とユダヤ人の間にある「他者性」に直面したパウロのユダヤ人としてのアイデンティティは契約と律法の順序と預言書における神の根本的な自由を通して、ひとつの救済物語のなかに複数の救済体験を見る可能性を見出したということを示してきた。
また、ローマの信徒への手紙の区切りで用いているパウロの詩的な言葉は、五巻に分けられる詩編のそれぞれの結びにおける賛美の祈りと同種のものであり、同じくユダヤの伝統に属すものであった。
そして最後に、パウロが詩的な過剰の言葉を用いているのは、論証的な言葉を越えたところに認識上の高みがある神の素晴らしい愛の神秘を示すためであった。
ここでの議論をまとめれば、パウロの詩的な表現はその論証的なテクストの後に溢れ出た偶発的な言葉ではないということである。
それはむしろ、パウロが論証的な論争を通して詳しく説明しようとしている「神秘」があまりに驚異的なものであったため、それを捉えて、十分に表現することができなかったということなのである。
このように、ここでの詩的な表現はパウロの救済論の中心にある驚きの深さと「他者性」をめぐるパウロの議論の基礎を示している。
特 集
「他者」へのまなざし
第84号 2014年3月
定価2000円+税
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