ヨハネ福音書をもう一度読み直そうと思っているのであれば、その前に是非とも次号85号「ヨハネ福音書と教会」をお読みいただきたい。
ヨハネ福音書の中に隠されている意図や文脈、同じ表現による関連づけなどは、すでに何度もお聞きになっているだろう。
ヨハネにはそういう要素が特に多く、それがヨハネが言わんとすること全体に関わっているが、そこに理解し難い理屈があるわけではない。
説教などで話として聞くときでも、一度文章として読んだことは受け入れやすい。
説教の中では「少しむずかしいかな?」と思うようなことも、文章で読むと、意外に理解しやすかったりするものだ。
牧師さんの話を聞くときの心持ちは、本を読むときの心持ちとは同じではない。
本当はわかるようなことでも、話に接するタイミングによって、理解できないということはよくあることなのだ。
教会に通っている方であれば、例えば、次号「ヨハネ福音書と教会」で読んだことは、必ず教会の説教で再び出会う機会がある。
その時には、以前と似た内容の話であっても、受け取る側の思いは別のものになっている。
知識をため込むことが目的ではない。
受けとめる準備がいつの間にかできているということだ。
つまり、あらかじめ本などで復習してから、改めて聖書に接すると、知っていたはずのことが別の形で入ってくる。
これは何もヨハネ福音書に限った話ではない。
物事一般に言えることではある。
しかし、次号のヨハネ福音書の特集は「知っているはずのこと」に別の形で出会ういい機会になるだろう。
そういう構成になっている。
研究の流れ全体をわかりやすく解説してから、本題に入っていくのが、インタープリテイションのよいところのひとつだ。
この点が一般の専門学術論文とは違う。
近世以来、ヨハネ福音書はどのように受けとめられてきたか。
その変遷を一望にしてから話は進んでいく。
『日本版インタープリテイション』で福音書そのものが特集のテーマになるのは、1996年の第37号以来、実に18年ぶりのこと。
予約があれば、発行数日で確実にお手許に。
6月10日刊行予定。
0 件のコメント:
コメントを投稿