2014年4月3日木曜日

「成就」と「実現」



 聖書の日本語訳のことをちょっと考えてみる。

2018年で新共同訳が使われるようになってから30年になる。あと4年。

それ以前に多く使われていた邦訳は「口語訳」と呼ばれる。今でも、それを使い続けている方も当然いるだろう。まだ売っているし、変えるタイミングを逸して今に至る教会もあるだろう。

さて、ヨハネ福音書の主張に「イエスの出来事によって聖書が実現した」というのがある。

旧約聖書の預言書などに書かれていることが、イエスの出来事によって「実現した」という意味である(ヨハネ福音書19章36節など)。

この主張に発する神学上の展開はおくとして、この「実現」は口語訳では「成就」と訳されていた。今でも牧師さんによっては、「聖書の成就」と言っている人がいるのではないだろうか。

原語のギリシャ語では「プレロオー」という動詞、あるいはその派生語である。

「聖書の言葉が実現するためである」

「聖書の言葉が成就するためである」

「聖書の実現」

「聖書の成就」

この違いを30年で日本人は消化できたのだろうか。

現在進行中の新共同訳に代わる新訳ではどうなるだろう。












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