ジョン・D・ウィトヴリート「擦り切れた賛美の歌は主に歌わず」
83号「アドベントと典礼」より
創造は組織神学においてもアドベントの敬虔においても、ごく自然に神の摂理および時における神の御業の理解についての観想に結びつく。
アドベントは予定が詰まり過ぎの一週間のスケジュールという暴君から距離をおき、特にパウロの「時が満ちる」(ガラ四4)という概念との関連において、神が贖いを実現する宇宙の時刻表の雄大さを見渡す稀有な機会を与えてくれる。
ラーナーはアドベントにおける印象深い黙想において
「アドベントにおける典礼の記憶は……過去と現在と未来を結びつける。
過去とは、まだ神のみに隠されていた救いの到来を待ち望んでいた旧約聖書のことであり、現在とはすでに世界の中では起こっているが、まだキリストのうちに隠されている救いのこと。
そして、未来とは時の終わりにおける世界の変容とともに明らかにされる救いのことである」と述べ、こう結論づけた。
キリストにおける神の働きを通して、時はあるべき姿をとるようになった。
時はもはや空虚で荒涼とした、消えゆく瞬間の連続ではなく……、
時そのものが救われているのである。
時には現在を保護し、未来をその中に集めることのできる中心がある。
すなわち、すでに真にもたらされている未来で現在を満たす核心部分であり、今生きている現在を永遠の未来と調和させる焦点なのである。
アドベントと典礼
第83号 2013年11月
定価2000円+税
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