2014年7月13日日曜日

最も美しい瞬間




F・W・ドブス=オルソップ
 「美の喜びと雅歌4章1―7節」
79号「雅歌」より



肉体の美しさがもつ生に息吹を与える力はイーダ・フィンクの短編集『時の切り抜き』の中の一編に非常に痛切に(そして脳裏から離れないような形で)見せつけられる。

その物語の舞台は第二次世界大戦中のポーランドのどこか――時はその架空の町が最初の「主の民の恐ろしい犠牲」となった一年後――に設定されている。

語り手は足が弱く「椅子」に座ったままの生活をしている無名の老女である。

彼女の家とそれを囲む果樹園――繰り返し「庭」と呼ばれる――の外で起こっていることはすべて、彼女の世話をする若い女性アガフィアの「物語」を通してのみ表れる。

ある時、アガフィアはある日の朝、森の中に隠れていた時に牧場で行われていた「トラック二台分のユダヤ人」の銃殺を目撃したと語る。

犠牲者のうちのひとりは「おさげの黒髪で絵のように可愛らしい」十五歳の少女であった。

彼女は「裸にされ」、まさに銃殺されるところだった。

「でも、彼女に狙いを定めた人は彼女を撃つことができなかったんです」

とアガフィアはいう。

「その人は美しいものを見る目をもっていたのだと思います」。

しかしながら、この物語は語り手が「聞いたこともない残虐さで暮らしがが充満していた」と言うところのユダヤ人虐殺の時代に設定されており、少女の美しさによってもたらされた死刑執行の猶予は短く、結局シュラムのおとめの如くその少女も美しさによって救われることはなかったと知らされても驚きはない。

予定されていた死刑執行人の上官である「金髪の男」がすぐさまやって来て、銃を取りあげ、少女を撃ち殺す(ツェランの『死のフーガ』からの引喩であることは疑いない)。

この場面は物語が四分の三ほど進んだところに出てくる。

そこまで読み進んで初めてわかることだが、この出来事が語られる少し前のところに、老女が彼女の「庭」でその「黒髪の」美少女が少年と交情におよぼうとしているのを見つけて追い払うという場面があり、老女は物語の残りでこの場面について考えを巡らせることになるのである。

彼女は痛々しく椅子から立ち上がり、「一歩一歩」たどたどしく「美しい庭」へと歩いてゆく。

暗闇が「ぶどう酒の色
――それとも血の色」で迫ってくる。

老女にとって一日のうちで「最も美しい瞬間」はこのときであった

――
 
「満開の花が約束されている」早朝でもなく、「それ自体が豪奢な美しさ」を誇る真昼でもない。

彼女の視線は最後に、半裸で横たわる少女を見つけた場へと向けられる。

少女の「美しさが私の心に真っ直ぐに迫ってきた」


――老女は思い返す。

しかし、彼女は若い世代の放蕩ぶりを非難しながら、その男女を追い払う。

そして今、彼女の怒号に対して少女が静かに言い放った苦い言葉を思い出す
――
 
「私たちは何をすることも許されていないんだわ。

愛し合うことも、幸福にすることも、私たちには許されていない。

許されているのは、死ぬことだけね。

『私があなたくらいの年頃のときには』なんてあなたは言うけれど、私たちがもっと年をとるなんてことがあるのかしら。

さあ、ジクムント……行きましょ」。

少年と少女は走り去る。

「楽園から追放」されたのだ。

二人が横たわったところを老女が見ると、踏み潰された花、折れ曲げられていた芝や雑草は

「折れ曲がってもいなければ、誰かが触れたようでもなく、真っ直ぐに伸びていた」。







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特 集

雅 歌

第79号 2010年8月
定価2000円+税
 

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