2015年3月19日木曜日

88号「イースターの祈り」 目次


発 売 中


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特 集

イースターの祈り

第88号 2015年3月
定価2000円+税









クラウディオ・カーヴァルヘス/ポール・ガルブレイス (古本みさ・訳)
Cláudio Carvalhaes and Paul Galbreath
イースターにおける教会の姿

    教会暦において五〇日間と定められている復活節は、主要な神学的主題が復活祭という教会の中心的な祝祭の一部分となっていく長いプロセスの中で発展してきた。イースターの祝いの中にそうした主題が具体化されていることに注目すると、多様な信仰共同体において刷新が行えるようになるだろう。


クリスティーン・E・ジョインズ (吉谷かおる・訳)Christine E. Joynes  
沈黙の音──マルコ福音書一六章1-8節の解釈史──
    墓にいた「若者」の言葉に女性たちが沈黙で応じるのはマルコ福音書だけに見られる特徴である。マタイ福音書とルカ福音書にそれがないということは、両福音書がこの要素には問題があると見ていたということであろう。しかし、マルコ福音書のテクストは、古代教会においてもその後においてもイースターの典礼の中で重要な役割を果たしてきた。その物語の受容史には調和と不一致の両方が示されている。 
     

トーマス・H・トロウガー (齋藤百合子・訳)Thomas H. Troeger
復活の響き ──音楽が言葉をまとうとき──
    フィリピの信徒への手紙はレトリックを用いて苦しみと喜びを再構成している。苦しみと喜びは織り合わされることにより、主題となるだけではなく、手紙全体の背景をなすつづれ織りとなるのである。

ウルリヒ・ルツ (榊原芙美子・訳)Ulrich Luz
芸術表現におけるイエスの復活
    新約聖書ではイエスの復活は目に見える現象としては描かれておらず、そのためにおよそ一〇〇〇年もの間、復活は視覚芸術として表現されることはなかった。復活の出来事が直接的に描かれるようになるのは紀元一〇〇〇年以降のことである。その表現様式は具体的であり、復活の出来事は一定の問題をはらんだ形で具体化され、また歴史化されてきた。 
     
デイヴィッド・G・バトリック (石田雅嗣・訳)David G. Buttrick
イースターの説教
    説教をする者はイースターの時期に「復活物語は事実か伝説か」、「パウロの”霊的な体”とは何のことなのか」という二つの未解決の問題に直面することになる。パウロはそこに福音書とは異なるものをもち込もうとしているのか。説教において求められるイースターのメッセージとは何なのか。



テクストと説教の間
詩編31編2―6, 16―17節(W・デニス・タッカーJr/標珠実・訳)
マタイによる福音書28章1―10節(E・カーソン・ブリッソン/齋藤百合子・訳)
ペトロの手紙一 4章1―8節(ポール・J・アクティマイアー/齋藤百合子・訳)


 書評紹介(榊原芙美子、吉谷かおる・訳)
トーマス・G・ロング著『死者を歌で送り出す──キリスト教の葬儀──』
チャールズ・B・カウザー著『注解フィリピの信徒への手紙・フィレモンへの手紙』
ヘルマン・J・セルダーホイス著『ジャン・カルヴァン──巡礼者の生涯──』



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