2014年7月6日日曜日

その肌の色を変えられるだろうか




ロドニー・S・サドラー
クシュ人はその肌の色を変えられるだろうか」
(84号「他者へのまなざし」)



クシュ人は現代人が安易に「黒人」と分類する集団として「人種論的に他者化」される潜在性をもつにもかかわらず、ヘブライ語聖書の著者はそのような本質論的な分類をしていない。

ここで検討してきた例では、人種論的思考の構成要素は比較的少なく、クシュ人の肌の色が認識されているという程度のことに限られている。

肌の色の黒さは決して否定的に評価されておらず、クシュ人との関連で他の人種論的な構成要素が見られるとしても、聖書の著者はクシュ人を決して人種差別の対象とはしていなかった。



ここではユダ人とクシュ人の交流は頻繁であったけれども、聖書の著者はクシュ人を「人種論的に」異なる集団とは見ていなかったということを示してきた。

筆者は拙著『クシュ人は肌の色を変えられようか』ではそこからさらに一歩踏み込み、クシュ人について聖書の言及をすべて吟味した後、ヘブライ語聖書には表現型に基づく「人種」という概念はないと結論した。

旧約聖書では表現型の違いは人類のタイプについての存在論的な相違とは関係なく、様々な国の民についての差異を示す要素でしかなかった。

民数記一二章で見たように、聖書の神は人種論的な思考の根拠となりかねない偏見に時に悪影響を与えることもある。創世記九─一〇章は領土争いに関係するテクストや全人類の親類関係を人種論的な解釈、人種差別的解釈の基礎にすることによって、聖書を人種論的な思考で解釈し直す危険性を示している。

結果として、現代の釈義においては聖書の政治的な文脈に気を配る必要が強調されなければならない。

古代における偏見が現代の集団間の関係に影響を与えるようなことは許されないのである。







特 集

「他者」へのまなざし

第84号 2014年3月
定価2000円+税





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