3月7日発売予定
「他者」へのまなざし
第84号 2014年3月(14年3月7日発売予定)
定価2000円+税
まえがき
クリスティン・M・スウェンソン
「エデンの東を守り、保つ ──エデンの園から見るカインとアベルの物語──」
「わたしは弟の番人でしょうか」という問いは何世紀にもわたって、戦いを好む者が人を殺したときに使うレトリックとして用いられてきた。しかし、聖書では創世記二︱四章という大きな物語の中で、ある動詞が現れ、消え、再び現れていることで、この問いは驚くほど広い意味をもった純粋な問いとなっている。この問いに答えることは他者のために、また他者ともに、神の存在を仲介するという複雑に絡んだ責任に関与することなのである。
ロドニー・S・サドラー Jr
「クシュ人はその肌の色を変えられるだろうか ──クシュ人・「人種的他者化」・ヘブライ語聖書──」
聖書に見える人間の相違をどう扱うかは、特にそれがクシュ人に関するとき、問題を引き起こす。クシュ人はヘブライ人に「人種論的に他者」と見なされていたのだろうか。それとも、環境がもたらした特徴と文化習慣の相違が今日よりも重視されていなかったということなのだろうか。
D・マーク・デイヴィス
「神の業への驚き ──パウロの救済論の中心──」
パウロはローマの教会に向けた非常に教訓的な手紙の中で戦略的な機会を捉えては詩的な表現を用いて救済の教理の中心にある驚きの感覚を開示する。
S・W・ヘンダーソン「テクストを自在に用いる ──コロサイの信徒への手紙の〈家族のあり方〉に見る解釈の枠組み──」
「キリストにおける新しい命」を家庭内の関係にどう当てはめたらよいかをコロサイの信徒への手紙三章18節ー四章1節から探究する。その〈家族のあり方〉を時代を超えた社会構造の雛型として見るのではなく、時代に縛られた、現代とは無関係の古めかしい慣習への反省として見るのでもなく、現代の一般的な文化慣習にキリストの支配をどのようにダイナミックに適用できるのか、この個所が伝えるどの時代の教会にも通じるメッセージとは何なのかを検討していく。
テクストと説教の間
詩編126編 (ルアン・スノー・フレシャー)
イザヤ書62章6―12節 (ポール・K・フッカー)
ルカによる福音書2章1―14節 (マーサ・L・ムーア=ケイシュ)
テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 五章12―24節 (トーマス・W・カリー)
書評紹介
ジェームズ・L・メイズ著『詩編による説教と教え』
テレンス・E・フリートハイム著『旧約聖書の神と世界─関係性の創造神学─』
デイヴィッド・M・カー著『心の石板に刻む─聖書と文学の起源─』
ジェームズ・L・クレンショウ著『神を弁護する─悪の問題への聖書の応答─』
リチャード・R・オスマー著『会衆を教えるという使命』
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