アドベント第一主日に説教壇から「新年おめでとう」と告げる説教者はめったにいないだろうが、この典礼期節を始めるのに最もふさわしい挨拶といえよう。
しかし、最も典礼を意識している会衆であっても、アドベントにそれ自体としての神学的、牧会的な位置を保たせ、クリスマスを迎えるための単なる準備運動的な活動に過ぎないと思わせないようにすることは難しい。
アドベントの聖書日課、ことに第一主日の日課は、たいていの会衆には馴染みがないか、当惑させられるものでさえあるように思われる。
〔一一月下旬の〕感謝祭が終わるや否やクリスマス・キャロルを歌い、またクリスマス用の常緑樹で教会の聖堂を飾りつけなければならないというプレッシャーの下、説教者には会衆にアドベントの終末のヴィジョンに入るよう促すのがいっそう難しくなる。
とはいえ、この終末のヴィジョンがなければ、クリスマスの祝賀は世界に与えられる神の希望の大胆な上演ではなく、単なるノスタルジアと感傷の場になりかねない。
聖書日課がもつ力のひとつは、キリスト教の物語について神学上、語るべきことがすべての面にわたって見通せるように、聖書のテクストと教会暦を絡み合わせられることにある。
聖書日課の動き、ことに受肉と過越のサイクルにおける動きはキリスト教の物語の動きである。
すでに見てきたように、キリスト教の物語に対してアドベントがなす本質的で明確な貢献は、それが時の中心性と聖性を際立たせるということである。
アドベントについて効果的に説教し、その終末の約束の中にあるよき知らせを言い表すためには、説教者はこの期節が描く円弧全体の意味を理解しなければならない。
それを理解することで、この期節がもつ軌道をそこに個々の主日の聖書日課を配置する背景にすることができるのである。
ゲイル・オデイ「未来に戻れ ― アドベントの終末論的ヴィジョン ―」(インタープリテイション83号、2013年)7-8頁より
アドベントと典礼
第83号 2013年11月
定価2000円+税
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