諸般の事情により、刊行が止まっておりました『日本版インタープリテイション』ですが、5月末より装いも新たに再始動することになりました。
版元がATD・NTD聖書註解刊行会から聖公会出版に変わり、刊行順も変更になります。
判型はこれまでどおりのA5判ですが、装幀が新しくなり、年4冊刊行の態勢がすでに整いつつあります。詳細は追ってこのブログでもお知らせいたしますが、 新生第1号の81号は5月25日刊と決定しました。
このブログ経由の注文はバックナンバーも含め、従来どおり受け付けます。価格も税込2100円のまま。継続講読・予約の注文もお待ちしております。
最新90号「年をとるということ」 好評発売中
本誌は各地のキリスト教書店に常備されていますが、直接のご注文も承ります。定期購読も受け付けています。ご連絡はこちらまで。
HPもご覧ください。http://www.geocities.jp/atdntd/index.html
2013年4月26日金曜日
2012年1月11日水曜日
「旧約聖書」各書の特集【バックナンバー紹介】
「インタープリテイション」では聖書の各書について一冊の本として特集を組んでいます。今回は旧約聖書の各書についての特集をバックナンバーから紹介します。
各特集号についてのさらに細かい内容はリンク先をご覧ください。
創世記(14号特集「創世記」)
出エジプト記(41号特集「出エジプト記」)
レビ記(57号特集「レビ記 聖潔と清浄」)
民数記(46号特集「民数記」)
詩 編(17号特集「詩編」)
コヘレトの言葉(63号特集「コヘレトの言葉」)
雅 歌(79号特集「雅歌」)
ヨブ記(55号特集「ヨブ記」)
イザヤ書(15号特集「イザヤ書」)
エゼキエル書(38号特集「エゼキエル書」)
2012年1月5日木曜日
「新約聖書」各書の特集【バックナンバー紹介】
「インタープリテイション」では聖書の各書について一冊の本として特集を組んでいます。今回は新約聖書の各書についての特集をバックナンバーから一覧表で紹介します。
各特集号についてのさらに細かい内容はリンク先をご覧ください。
マタイによる福音書(20号特集「マタイ福音書」)
マルコによる福音書(26号特集「マルコ福音書」)
ルカによる福音書(32号特集「ルカ福音書」)
ヨハネによる福音書(37号特集「ヨハネ福音書」/85号特集「ヨハネ福音書と教会」)
使徒言行録[使徒行伝] (43号特集「使徒言行録」)
ローマの信徒への手紙(75号特集「ローマの信徒への手紙」)
コリントの信徒への手紙1(6号特集「第一コリント」)
コリントの信徒への手紙2(51号特集「第二コリント」)
ガラテヤの信徒への手紙(59号特集「ガラテヤの信徒への手紙」)
ヘブライ人への手紙(71号特集「ヘブライ人への手紙」)
2011年10月5日水曜日
80号「神の像」
インタープリテイション第80号 特集「 神 の 像 」
2011年7月 定価2100円 (本体2000円+税)
神は言われた──「われわれに似せて、人を造ろう」
まえがき
W・シブレイ=タウナー (宮崎 修二・訳) W. Sibley Towner
「神の写し ──創世記一章二六-二八節と神の像── 」
創造主は神の像として人間を作ったという祭司文書記者の主張は大胆でもあり、曖昧でもある。とりわけ「像」という言葉を神と神の被造物の関係に入ることができるという意味にとれば、この概念はその資格を与えているということでもある。われわれは人間の罪深さを気難し気に強調するけれども、旧約聖書は人間の本質について、われわれが想像するより遙かに肯定的である。
D・クラウス (吉田 忍・訳) Deborah Krause
「現実としつづける ──新約聖書における神の像── 」
新約聖書における「神の像」はヘブライ語聖書、初期ユダヤ教、ヘレニズム通俗哲学に由来する様々な伝承が混じりあった概念である。それらの伝承はすべて、人間存在の意味を探求することを主題としている点で一致している。祭司文書記者やフィロン、パウロは神の像を被造物すべてに対する神の支配権を証言し、この世において神に刃向かっている権威に対する異議を唱える手段と解釈した。神の像という主題は初期キリスト教の経験と、いかにその経験が神の国を宣べ伝えるイエスに従おうとするキリスト者を勇気づけるかを明らかにしてくれる。
D・F・オッターティ (吉田 忍・訳)Douglas F. Ottati
「上とはどっちだろう? ── キリスト教神学と現代宇宙論に関する試論──」
神や世界、私たち自身に対する神学的なイメージは科学的な発見や知識、信念を考慮に入れようとすることで変化する。現代における宇宙およびその中にある私たち人間の場所に関する知識に応じて、そのイメージはどのように変わるのだろうか。
A・W・アステル(宮崎 修二・訳)Ann W. Astell
「聖書における神のイメージと「神の像」としての〈私〉── エーディト・シュタインの貢献──」
シュタインはナチによる迫害のただ中でキリストとの形成的な一致に繋がるアイデンティティ形成の神秘的な筋道を聖書における神のイメージの中に見出していた。
【Keyword】 十字架の聖ヨハネ、跣足カルメル修道会、現象学、自己移入
詩編8編(E・ヒンソン=ヘイスティ/石原 良明・訳)
マタイによる福音書3章1―12節(R・R・ロバーツ/石原 良明・訳)
マタイによる福音書26章6―13節(E・B・フォード/石原 良明・訳)
ヘブライ人への手紙2章10―18節(S・R・ハーモン/石原 良明・訳)
J・R・ミドルトン著『イメージを解放する──創世記一章における神の像──』
J・R・ランドボム著『註解 エレミヤ書二一-二六章・三七-五二章』
F・J・マロニー著『註解・マルコによる福音書』
J・M・オコナー著『パウロ ──その物語──』
2011年7月 定価2100円 (本体2000円+税)
神は言われた──「われわれに似せて、人を造ろう」
まえがき
W・シブレイ=タウナー (宮崎 修二・訳) W. Sibley Towner
「神の写し ──創世記一章二六-二八節と神の像── 」
創造主は神の像として人間を作ったという祭司文書記者の主張は大胆でもあり、曖昧でもある。とりわけ「像」という言葉を神と神の被造物の関係に入ることができるという意味にとれば、この概念はその資格を与えているということでもある。われわれは人間の罪深さを気難し気に強調するけれども、旧約聖書は人間の本質について、われわれが想像するより遙かに肯定的である。
D・クラウス (吉田 忍・訳) Deborah Krause
「現実としつづける ──新約聖書における神の像── 」
新約聖書における「神の像」はヘブライ語聖書、初期ユダヤ教、ヘレニズム通俗哲学に由来する様々な伝承が混じりあった概念である。それらの伝承はすべて、人間存在の意味を探求することを主題としている点で一致している。祭司文書記者やフィロン、パウロは神の像を被造物すべてに対する神の支配権を証言し、この世において神に刃向かっている権威に対する異議を唱える手段と解釈した。神の像という主題は初期キリスト教の経験と、いかにその経験が神の国を宣べ伝えるイエスに従おうとするキリスト者を勇気づけるかを明らかにしてくれる。
D・F・オッターティ (吉田 忍・訳)Douglas F. Ottati
「上とはどっちだろう? ── キリスト教神学と現代宇宙論に関する試論──」
神や世界、私たち自身に対する神学的なイメージは科学的な発見や知識、信念を考慮に入れようとすることで変化する。現代における宇宙およびその中にある私たち人間の場所に関する知識に応じて、そのイメージはどのように変わるのだろうか。
A・W・アステル(宮崎 修二・訳)Ann W. Astell
「聖書における神のイメージと「神の像」としての〈私〉── エーディト・シュタインの貢献──」
シュタインはナチによる迫害のただ中でキリストとの形成的な一致に繋がるアイデンティティ形成の神秘的な筋道を聖書における神のイメージの中に見出していた。
【Keyword】 十字架の聖ヨハネ、跣足カルメル修道会、現象学、自己移入
テクストと説教の間
詩編8編(E・ヒンソン=ヘイスティ/石原 良明・訳)
マタイによる福音書3章1―12節(R・R・ロバーツ/石原 良明・訳)
マタイによる福音書26章6―13節(E・B・フォード/石原 良明・訳)
ヘブライ人への手紙2章10―18節(S・R・ハーモン/石原 良明・訳)
書評紹介
J・R・ミドルトン著『イメージを解放する──創世記一章における神の像──』
J・R・ランドボム著『註解 エレミヤ書二一-二六章・三七-五二章』
F・J・マロニー著『註解・マルコによる福音書』
J・M・オコナー著『パウロ ──その物語──』
2011年6月15日水曜日
79号「雅歌」目次
インタープリテイション第79号
特集「雅 歌」
2010年8月 定価2100円 (本体2000円+税)
愛は死のように強く
情熱は陰府のように酷い
まえがき
D・グロスバーグ (宮崎 修二・訳) Daniel Grossberg
「雅歌における自然・人間・愛」
雅歌における三つの重なり合うテーマ、自然、人間、愛をめぐる論考であり、自然を用いた比喩が人間の愛を思い起こさせるためにどのように用いられているかを本稿では検討する。また、そこで呼び起こされる愛が非常にエロティック的でありながら抑制された性質をもつことについても検証していく。
T・リナフェルト (宮崎 修二・訳) Tod Linafelt
「愛 の 数 式」
詩人たちは愛を数学の命題のようなものと見ている。古代イスラエルの偉大なる欲望の詩、雅歌に限らず、愛の文学には、ひとつになろうとしている二人であれ、三つの要素がもたらす計算結果であれ、古くから複雑な計算の歴史がある。
【Keyword】 サッフォー (Sappho)、アン・カーソン(Anne Carson)
F・W・ドブス=オルソップ (小林 祥人・訳)F. W. Dobbs-Allsopp
「美の喜びと雅歌四章一─七節」
美は人間の繁栄を中心にした現代の考え方の中で顕著な役割をもってこなかった。本稿は教会や学問の世界がそこに再び価値を見出せるような美の概念を再生させようとするものである。ここでは聖書学者が雅歌四章1ー7節の詩を典拠に議論するときの視点から生じてくる問題が特に扱われる。
C・L・シュナーブル=シュワイツァー (小幡 幸和・訳)Carol L. Schnabl-Schweitzer
「雅 歌 ──パストラルケアのための隠喩──」
牧会ケアの場で聖書を用いる際には、人を変容させる神の力についてそこに何が示されているかに注目すると同時に、助けを求めている人の状態に注意する必要がある。雅歌は対等な立場にある二者が愛の力によって変えられる物語を隠喩によって語っているが、そうしたことの中に牧会ケアに対する洞察を見ることができる。雅歌の終わりにはさらなる切望の思いがあるが、全体を通して見ればこの書は健全な人間関係においてなぜ欲望が必要であるのか、そしてなぜ人間が基本的に必要とする愛があらゆるカウンセリング、とりわけ鬱に苦しむ人との取り組みにおいて不可欠であるかを明らかにしている。
【Keyword】 J・クリステヴァ、心理療法、カウンセリング
詩編86編11―17節(A・E・アータバリー/鈴木 淳之介・訳)
エレミヤ書31章31―34節(D・ライマー/落合 友子・訳)
マタイによる福音書14章13―21節(C・A・サマーズ/落合 友子・訳)
デイヴィッド・M・カー著『愛 の 言 葉──セクシャリティとスピリチュアリティと聖書──』
ベヴァリー・R・ガヴェンタ著『註解・使徒言行録』
リチャード・A・ホーズリー著『イエスと帝国 ──神の王国と新しい世界の無秩序──』
クレイグ・C・ヒル著『神 の 時 に ──聖書と未来──』
特集「雅 歌」
2010年8月 定価2100円 (本体2000円+税)
愛は死のように強く
情熱は陰府のように酷い
まえがき
D・グロスバーグ (宮崎 修二・訳) Daniel Grossberg
「雅歌における自然・人間・愛」
雅歌における三つの重なり合うテーマ、自然、人間、愛をめぐる論考であり、自然を用いた比喩が人間の愛を思い起こさせるためにどのように用いられているかを本稿では検討する。また、そこで呼び起こされる愛が非常にエロティック的でありながら抑制された性質をもつことについても検証していく。
T・リナフェルト (宮崎 修二・訳) Tod Linafelt
「愛 の 数 式」
詩人たちは愛を数学の命題のようなものと見ている。古代イスラエルの偉大なる欲望の詩、雅歌に限らず、愛の文学には、ひとつになろうとしている二人であれ、三つの要素がもたらす計算結果であれ、古くから複雑な計算の歴史がある。
【Keyword】 サッフォー (Sappho)、アン・カーソン(Anne Carson)
F・W・ドブス=オルソップ (小林 祥人・訳)F. W. Dobbs-Allsopp
「美の喜びと雅歌四章一─七節」
美は人間の繁栄を中心にした現代の考え方の中で顕著な役割をもってこなかった。本稿は教会や学問の世界がそこに再び価値を見出せるような美の概念を再生させようとするものである。ここでは聖書学者が雅歌四章1ー7節の詩を典拠に議論するときの視点から生じてくる問題が特に扱われる。
C・L・シュナーブル=シュワイツァー (小幡 幸和・訳)Carol L. Schnabl-Schweitzer
「雅 歌 ──パストラルケアのための隠喩──」
牧会ケアの場で聖書を用いる際には、人を変容させる神の力についてそこに何が示されているかに注目すると同時に、助けを求めている人の状態に注意する必要がある。雅歌は対等な立場にある二者が愛の力によって変えられる物語を隠喩によって語っているが、そうしたことの中に牧会ケアに対する洞察を見ることができる。雅歌の終わりにはさらなる切望の思いがあるが、全体を通して見ればこの書は健全な人間関係においてなぜ欲望が必要であるのか、そしてなぜ人間が基本的に必要とする愛があらゆるカウンセリング、とりわけ鬱に苦しむ人との取り組みにおいて不可欠であるかを明らかにしている。
【Keyword】 J・クリステヴァ、心理療法、カウンセリング
テクストと説教の間
詩編86編11―17節(A・E・アータバリー/鈴木 淳之介・訳)
エレミヤ書31章31―34節(D・ライマー/落合 友子・訳)
マタイによる福音書14章13―21節(C・A・サマーズ/落合 友子・訳)
書評紹介
デイヴィッド・M・カー著『愛 の 言 葉──セクシャリティとスピリチュアリティと聖書──』
ベヴァリー・R・ガヴェンタ著『註解・使徒言行録』
リチャード・A・ホーズリー著『イエスと帝国 ──神の王国と新しい世界の無秩序──』
クレイグ・C・ヒル著『神 の 時 に ──聖書と未来──』
2010年11月2日火曜日
79号「雅歌」 発行
日本版インタープリテイション79号 特集「雅歌」刊行しました。
ま え が き
伝統的に「ソロモンの歌」として知られ、一般には「雅歌」と呼ばれている愛の詩は聖書正典の中ではユニークな存在である。聖書にはエロスとしての愛をあのようにじっくりと臆面もなく言祝ぐものは他にない。この異例な書はユダヤ教においてもキリスト教においても幅広い解釈を呼び起こしてきた。マルク・シャガールが「雅歌・三」〔本号の英語版の表紙に用いられた〕で美しく描いているように、この詩は恋人同士が交わす愛に満ちたやりとりを中心に展開され、多くの人は彼らの結婚を祝うものと解釈している──まさにシャガールがしているように。その一方で、イスラエルへの神の愛、あるいは教会へのキリストの愛を描いた宗教的な寓話とも理解されている。
今号ではまず、D・グロスバーグ准教授が雅歌における自然、人間、神の三角関係を辿り、そこでは直接言及されない神が他の文脈では神に用いられる言葉でいかに表現されているかを示している。その注意深いヘブライ語本文の研究によって、雅歌には「細心の間接表現、巧妙な曖昧さ、比喩の輝きをもって非常にエロティックでありながら抑制された世界が描かれ、詩人はそこに人と自然と愛のすべてが芽を吹き、 開花し、充実と完成に向けて機が熟していることを歌にしている」と論じている。
愛のうちにあっては〈1〉+〈1〉はいつでも〈2〉になるわけではない──トッド・リナフェルト准教授はそう示唆する。恋する二人がひとつになるという明らかな等式に、第三の要素が決定的な役割を演じる、もっと微妙な現実がもたらされる。雅歌におけるエロスとしての愛の複雑さは、隔たりから生じ、また決して解決されることのない自我の現実から究極的には生じる欲望と緊張に満ちている。F・W・ドブス=オルソップ博士は雅歌四章一─七節に見える恋する女の美しさに注意深い分析を試みている。そこで称えられている美しさは恋のかけひきにおいて表現される活動的な美である。その美しさは現代文化に見られる女性不信の歪んだ愛を超えて、生を豊かにする正義と愛の関係という秩序立った釣り合いのよさを描き出す。
キャルロ・シュワイツァー准教授は雅歌の比喩的な言葉に挑発的な解釈を施し、牧会において相談を受ける者のために、本来セラピーにおいて理解される愛の役割の好ましい手本をに提示している。特に鬱ゆえに神に切り捨てられ、疎外されていると感じてしまっている人にとって神の愛が変化への力となり得るという。
雅歌における愛の美しさは、人間と自然に対する暴力に苛まれている世界に、聖書の別の書で「より素晴らしい道」と呼ばれたものが何であるかを教えてくれる。
ジェームズ・A・ブラシュラー
サミュエル・E・バレンタイン
ま え が き
伝統的に「ソロモンの歌」として知られ、一般には「雅歌」と呼ばれている愛の詩は聖書正典の中ではユニークな存在である。聖書にはエロスとしての愛をあのようにじっくりと臆面もなく言祝ぐものは他にない。この異例な書はユダヤ教においてもキリスト教においても幅広い解釈を呼び起こしてきた。マルク・シャガールが「雅歌・三」〔本号の英語版の表紙に用いられた〕で美しく描いているように、この詩は恋人同士が交わす愛に満ちたやりとりを中心に展開され、多くの人は彼らの結婚を祝うものと解釈している──まさにシャガールがしているように。その一方で、イスラエルへの神の愛、あるいは教会へのキリストの愛を描いた宗教的な寓話とも理解されている。
今号ではまず、D・グロスバーグ准教授が雅歌における自然、人間、神の三角関係を辿り、そこでは直接言及されない神が他の文脈では神に用いられる言葉でいかに表現されているかを示している。その注意深いヘブライ語本文の研究によって、雅歌には「細心の間接表現、巧妙な曖昧さ、比喩の輝きをもって非常にエロティックでありながら抑制された世界が描かれ、詩人はそこに人と自然と愛のすべてが芽を吹き、 開花し、充実と完成に向けて機が熟していることを歌にしている」と論じている。
愛のうちにあっては〈1〉+〈1〉はいつでも〈2〉になるわけではない──トッド・リナフェルト准教授はそう示唆する。恋する二人がひとつになるという明らかな等式に、第三の要素が決定的な役割を演じる、もっと微妙な現実がもたらされる。雅歌におけるエロスとしての愛の複雑さは、隔たりから生じ、また決して解決されることのない自我の現実から究極的には生じる欲望と緊張に満ちている。F・W・ドブス=オルソップ博士は雅歌四章一─七節に見える恋する女の美しさに注意深い分析を試みている。そこで称えられている美しさは恋のかけひきにおいて表現される活動的な美である。その美しさは現代文化に見られる女性不信の歪んだ愛を超えて、生を豊かにする正義と愛の関係という秩序立った釣り合いのよさを描き出す。
キャルロ・シュワイツァー准教授は雅歌の比喩的な言葉に挑発的な解釈を施し、牧会において相談を受ける者のために、本来セラピーにおいて理解される愛の役割の好ましい手本をに提示している。特に鬱ゆえに神に切り捨てられ、疎外されていると感じてしまっている人にとって神の愛が変化への力となり得るという。
雅歌における愛の美しさは、人間と自然に対する暴力に苛まれている世界に、聖書の別の書で「より素晴らしい道」と呼ばれたものが何であるかを教えてくれる。
ジェームズ・A・ブラシュラー
サミュエル・E・バレンタイン
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